自分の好きな色

自分の基準ではなく他人や世間の基準で生きる人が増えてきています。

服を選ぶにしても周りから見て無難かどうか、周りから見ておかしくないかどうかを基準に選んだり…自分が好きかどうかではなく、他人から見てどうかなのです。

だから、良い人に見られやすいのですが、実態はただただ他人の評価におびえているだけ。他人基準で生きていると気が休まらず、変に気を遣いながらいつもビクビクおどおどしてしまう。

社会生活をしていく以上、他人の目を一切気にしないのは問題ですが、過剰に気にするのはしんどいですよね。

どうすれば他人基準を緩められるか、自分基準で生きられるようになるかをお伝えします。

他人基準が引き起こす問題

他人基準で生きると自分がわからなくなる

私も以前は世間や他人を基準に生きていたので、自分は何が好きで自分にとって何が大切かもわからなくなっていました。

親が買ってくる服を何も考えずに着て髪型は丸坊主…さすがに女性用の服はボタンが左右逆で戸惑いましたが、母親が基準だった私はそれを嫌だと思うこともありませんでした。

自分が何かを感じて、その感覚に従って行動しようと考えて判断を下す。これを繰り返す中で自分の基準ができてくるのですが、自分で考える前に母親がやってくれていたことで思考停止状態になって母親の基準でしか動けなかったのです。

そして、学校という集団生活の場に入ったことで先生やクラスメイトが基準となり、他人、世間が基準になっていく。結果として自動販売機で自分の好きなジュースを選ぶことすらできなくなったのです。

祖父の影響でオロナミンCとかリアルゴールドが好きだったのに、みんながよく飲むようなコカコーラ、ファンタを選んだり。ペプシコーラは好きではなかったのですが、流行っていた時期は自分も合わせないとと買いました。

遠足に持っていくお菓子もみんなと同じかどうか考えて、違うお菓子があったら隠してそのまま持ち帰った記憶もあります。みんなと違うかわいいタヌキのお弁当箱、デザートもタコさんウインナーもない中身。恥ずかしすぎてお弁当箱を出すときはいつも顔が真っ赤。

自分が好きか嫌いかよりも周りに合わせることのほうが大切だったのです。

他人基準では自分の気持ちを大切にできない

世間体を重視する家庭で育ったので、公的自己意識も高かったと思います。

青年期においては,客体自己と主体自己の分化が大きくなり,その結果,自己覚醒(Self-awameness)が高まることが指摘されている.自己覚醒が高まった状態において人は,現実の自己の状態に対する知覚が鋭敏になり,自己のもつ“適切さの基準(standard)”,あるいは理想自己像との差が意識されるために,自己評価が低下し,これに伴う不快感から脱するため,基準に一致した行動をとるよう動機づけられるといわれている.そして,他者から見られる自己に注意をより向けやすい,いわゆる公的自己意識の高い者ほど,他者の評価や社会的規範などの自己の外的要因を基準として重視する傾向がある.

引用元:青年期の自己評価と対人恐怖的心性との関連、1990、日本心理学会

毎日駅で下痢や嘔吐を繰り返しながらも学校に行き続けたことが何よりの証拠だと言えるでしょう。

繰り返されていくうちに感覚が麻痺して本当は嫌だったはずのことも嫌だと感じなくなる。だから、自分にとっては別に嫌なことをしている感覚も我慢している感覚もない。このおかしくなっている状態に警笛を鳴らすのが心や身体に起こる異変です。

何も問題がないはずなのに心身に異常が出るというのは、無意識に世間や他人基準で本当の自分を抑圧しているということ。自分の気持ちを大切にしていない状態だから自信も持てません。

自信を持って自分らしく生きていくためには、他人基準から抜け出して自分基準を取り戻すことが必要なのです。

自分基準で生きるために

自分の感覚に目を向ける

自分が好きなものは何か、嫌いなものは何か。自分にとって大切なことは何か、どうでもいいことは何か。

例えば、好きなことをしていたら楽しかったり嬉しかったり心地よかったりします。嫌なことをしていたら面倒くさかったりしんどかったり不快な気持ちになったりします。

今やっていることに自分がどう感じているのか、感覚に意識を向けてみてください。

自分基準で生きていくためにはまず自分の感覚を知ることから。他人基準に埋もれて見つけづらくなっていると思いますが、自分の感覚に少しでも目を向けていただけたらと思います。

自分の価値観を知る

自分基準を取り戻すにあたって自分の価値観を知ることも大切です。

価値観は人それぞれなので、自分が大切だと思うことが他人にとってはどうでもいいことだったりというのはよくあります。

自分の価値観で生きている人は、自分が大切だと思うことを大切にします。他人の価値観で生きている人は、他人が大切だと思うことを大切にします。

例えば、結婚することが自分の価値観ではどうでもいいことだとすると、自分の価値観で生きている人は結婚を目的として行動を起こすことはありません。

しかし、「結婚は早くすべきだ」という母親の価値観で生きている人は結婚を目的として行動を起こします。

自分の価値観で生きているとき、人は嫌な気持ちになることはありません。嫌な気持ちになるということは自分の中で最優先の価値観が優先順位の低いことに妨げられているから。

自分の価値観において何が一番大切なのか。親や世間という他人の価値観ではなく自分の価値観を知ったとき、他人基準に惑わされず自分基準で行動しやすくなります。

ただ、他人の価値観を自分の価値観だと思い込んでしまっている人が多いので、自分の価値観を自覚するのは難しいところもありますけどね。

自分の感覚や価値観に目を向けてみたけど自分基準が取り戻せない、よくわからない場合はカウンセリングでサポートいたします。