対人恐怖症と私

対人恐怖症と私

こんばんは、西橋です。

皆さんが対人恐怖症を克服するためのヒントにもなるかと思いましたので、私が対人恐怖症で苦しんだ過去についてお伝えしたいと思います。

私は生まれてすぐの頃から音に非常に敏感で、襖(ふすま)を閉める音で泣くほどの状態だったそうです。母親への依存が激しく、保育園に行くときも毎日のように泣き続けてかなり手がかかる子供だったと聞いてます。

弟が二人いる長男なので、弟ができた頃から「お兄ちゃん」として親からもしっかりと教育を受けて、甘えることができなかった影響で自分の髪の毛を触ることと指を吸うこと、爪を噛むクセがなかなか抜けませんでした。両親が毎日のように喧嘩をしていた影響や、父親を頼りないと思っていたことから「長男として自分がしっかりしなければ」という責任感は常にあったと思います。

保育園に行っても人見知りをする性格であったため、誰とも話せずにいつも一人で行動していました。一人で砂場で遊んでいることが多かったです。運動が得意ではなかったので竹馬や一輪車は当然乗れず、走るのも遅い。補助輪なしの自転車に乗れるようになったのが小学6年生のときであったことが何よりの証拠ともいえます。

当時、幼いながらも私が感じていた劣等感は、「人より運動ができない、人より動作が遅い、人より見た目が悪い、怖がり」といったことでした。これらは成長と共にどんどんひどくなっていきました。

結局、保育園では友達ができず、先生からはいつも心配される泣き虫という状態で、引越しをすることになって知らない人ばかりの地域で生活することになりました。

引っ越したことによって校区が変わったので、また知らない人ばかりの中で小学校入学を迎えることになりました。奈良の田舎で当時は田んぼばかりの地域でしたから、ガキ大将のような存在もいて運動ができる男子がもてはやされるという私にとって本当に苦痛な環境になっていました。

人より動作が遅く運動ができない怖がりの私は、いじめの標的にされて毎日泣きながら過ごしていました。後ろから急に突き飛ばされたり、石を投げられたり、図書室で怖い本を見せられたりしていました。歩けるようになるのが遅かった影響もあったのかもしれませんが、よくこけて怪我をして泣きながら保健室に何度も通っていたことを覚えています。

当時、私は何のとりえもないと思っていましたので、「自画像」を描くのがすごく嫌で泣きながら先生になだめられて何とか描いたという出来事もありました。

 

アニメのドラえもんの「のび太君」が自分に似ていると思っていたので、誰かから似ていると言われないかいつも意識して心配していました。

班やグループを決めることや、ドッジボールなどのスポーツをするためにチームを決めるときにやる「はないちもんめ」は私にとって地獄でした。また、遠足などでお弁当を食べるときに一人になっていつも誰かに同情で一緒に食べてもらえるときがあれば、いつも「自分はダメな人間だ」と思っていました。

そんな私でしたが、一応仲間に入れてもらえていましたので完全に仲間はずれにされることはありませんでした。これは田舎の良い風習だったのかなと思っています。

ただ、その度に「自分の存在が周りに迷惑を掛けてしまっているんだ」「自分はダメな人間だ」という気持ちは強くなっていました。

以上が私の幼い頃から小学生低学年の頃までの話です。

まだ対人恐怖症とは言えない状態ではあったと思いますが、もうすでにこの頃から要素は充分にあったと言えます。

悪い考え方のクセというものはこういう幼い頃の経験から少しずつ出来上がっていくものです。その人の性格や家庭環境、出来事等によって形成されていきます。

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