他人を責めない、愚痴を言わない、嫌悪や怒りの感情がほとんどないという人はたいてい無意識の正当化を繰り返しています。

本音を悪魔、正当化する考えを天使として例を作ってみましたので、以下の悪魔と天使のやり取りをご覧ください。

悪魔:「馬鹿のくせに調子乗りやがって」

天使:「いやいや、そんなこと僕が思うはずないんだ」

悪魔:「あんなやつ生きてる価値すらないぞ」

天使:「いや、どんな人にでも価値はあるはず。あの人にもきっといいところはあるんだから」

悪魔:「ほんまにウザい、死ねばいいのに」

天使:「なんてことを言うんだ。そんなひどいこと思っちゃいけないよ」

悪魔:「もう何かもがイヤだ、しんどい」

天使:「他の人はもっとしんどい思いしてるはず。自分だけがしんどいわけじゃないんだから」

悪魔:「親の存在自体に無性にイライラする」

天使:「親に面倒見てもらって生活させてもらっているんだから感謝しなきゃ」

悪魔:「かわいい女の子と付き合いたい、SEXしたい」

天使:「身体の関係じゃなくて大事なのは心のつながり、愛なんだ」

このように悪魔と天使の葛藤を繰り返しています。

本人にとって悪魔は出てきて欲しくないと思っていますので、悪魔を抑え込んで天使の自分で正当化することを繰り返します。

そして、気付かないうちに自分の中に悪魔はいないんだと思い込むようになるのです。

自分の本音を誤魔化してわからないままにしている

悪魔は存在してはいけないのか?

いえ、逆に存在しなければなりません。

正当化している人の感覚から悪魔という表現を使いましたが、これは自分の本音です。

正当化を繰り返して本音を抑え込むというのは、自然に反することでありどこかに異常が出るようになります。

例えば、人と話すときに何を話していいかわからなくなったり、意見を求められても意見が出てこなかったり、なぜか些細なことで無性にイライラするようになったり、他人の目が異常に気になったり、気持ちが落ち込んでうつ状態になってしまったり、好きという感情がわかなくなったり…

無意識の正当化はさまざまな面で支障をきたすだけでなく、自覚のない莫大なストレスを抱えることから、うつや依存症、心身症などにつながりやすく危険です。

しかし、異常が出たとしても正当化している自覚がないため、さらに正当化を強めて誤魔化します。

「自分はこういう性格なんだ」と自分を納得させる正当化も多いですね。

正当化を繰り返して自分の本音がわからなくなっている人には以下のような特徴がみられます。

  • 「何考えているかわからない」と言われた経験がある
  • 「もっと本音で話して欲しい」と言われたことがある
  • 幼少期や学生時代を振り返っても記憶がほとんどない
  • 素直に相談すること、人に甘えることができない
  • まったくと言っていいほどイライラすることがない
  • 自分の感情を無視してでも効率化を求める
  • 理屈っぽくてどこか冷めている
  • 「好き」という感情がわからない

該当するところはありましたか?

イソップ寓話「すっぱい葡萄」から見た正当化の原理

有名なイソップ寓話の中に「すっぱい葡萄(ブドウ)」という話があるのをご存知でしょうか?

お腹が減ってブドウが食べたくて仕方ないキツネが、木になっているブドウが届かないから「どうせあのブドウはすっぱくてまずいんだ」と思って諦めるという話です。

ブドウが好きなのに食べられない

という矛盾が不快感を生み出すため、

あのブドウはすっぱい

と思い込んで、

食べてもまずいだけだからあんなブドウ食べたくない

と自分の中で整合性を取ろうとする。

この原理は心理学で言うところの認知的不協和によるものですが、対人恐怖症においても共通するところがあります。

人と話したいのに話せない

という矛盾が不快感を生み出すため、

あの人は自分のことを嫌いだと思っているに違いない

(あの人とは価値観が合わないに違いない)

と思い込んで、

自分を嫌ってる人となんて話したくない

(価値観が合わない人となんて話したくない)

と自分の中で整合性を取ろうとする。

正当化することによって自分の中で整合性を取っているんですよね。

認知的不協和で正当化する前の本音に目を向けて見る

元々、キツネはブドウを食べたくて仕方なかったわけですから、届かないとわかったとき悲しい気持ちになったのではないでしょうか。

取ろうとしても取れずイライラすることもあったでしょう。

すごく悔しい思いをしていたのかもしれません。

ブドウが食べたかったという本音だけでなく、付随する感情の動きも正当化につながっています。

耐えがたい感情を正当化によって和らげているのもありますからね。

「話したくない」というのが正当化した結果なのか、それとも本当に元からその人と話したくないのか。

自分の中にある「すっぱい葡萄」が何か、少し考えていただけたらなと思います。

本音に気付くカギとなるのは矛盾

本音を正当化で誤魔化していると何かしらの矛盾が出てきます。

以下のやりとりをご覧ください。

カウンセラー:「人とどういうかかわりができれば理想的ですか?」

クライエント:「職場の人に気を遣わず仲良く楽しく話せるようになりたいです。」

カウンセラー:「職場の人に自分の話ってされてますか?」

クライエント:「一切してません。職場の人に本当の自分は絶対に見せたくないんです。」

このAさんの2つの発言を合体させてみると「職場の人に本当の自分を絶対に見せずに仲良く楽しく話せるようになりたいんです。」になりますよね?

これって完全に矛盾してるんです。

本当の自分を絶対に見せようとしないほどに壁を作っている人と気を遣わない仲になんてなれるわけないじゃないですか(笑)

対人恐怖症で悩んでいる人の話を聴いていると、このような矛盾がいくつも出てきます。

「一人の方が楽だし人と関わりたくないんですけど、人からどう見られてるか異常に気になるんです。」

というのは、人と上手くかかわれないから本当はかかわりたいのに一人の方がいいと正当化している。

「もう母は私のことを理解してくれないって諦めてるんですけど、母のことを考えると無性にイライラするんです。」

というのは、本当は母親に理解して欲しいのに諦めるしかないと無理やり自分を納得させている。

正当化を繰り返している人ほどこういった本音を見つけるのは難しいですが、カウンセリングで本音や感情に焦点を当てて矛盾とぶつかりながら少しずつ気付けるようになっていきます。