ドラマでも使われるほど一般化している対人恐怖症。

家から出られない引きこもり、話しかけられてもビクビクおどおどして全く喋れない状態をイメージする人は多いでしょう。

しかし、実態は学校や会社に行っていて、表面上は問題が起こらないコミュニケーションを取っている。

彼氏、彼女がいたり、結婚している人もいます。

本人が隠して普通に振る舞っているから、周りに対人恐怖症だと気付かれていない人も多いですね。

対人恐怖症とはいったいどんな症状なのか?

専門のカウンセラーとして臨床を重ねてきた中で知った対人恐怖症の実態をお伝えしていきます。

対人恐怖症とは?

対人恐怖とは、「対人場面において耐え難い不安・緊張を抱くために、対人場面を恐れ・避けようとする神経症の一型」と定義されている。そして、その悩みの内容は「対人関係における戸惑い、相手の期待をはずすことへの恐れ、社交能力の自信の無さ、人前での何らかの行為の失敗の恐れ等といった対人場面での行為の遂行や、社交やコミュニケーションそのものへの不安が中心となっているケースと、注視されている赤面等恥ずかしい自分の何かが注目されている・駄目な自分を見透かされている、他者に見つめられている、迷惑がられている、嫌われている等といった強迫的思考や思い込みに苦しんでいるケースとに大別される」と定義されている。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察 – 愛知大学教職課程研究年報

対人不安、対人緊張、社会不安、人間恐怖と表現されることもあります。

人とかかわりたい気持ちを強く持っているからこそ、人に嫌われること、拒絶されることが怖くて仕方ない。

嫌われないようにと相手にあわせて自分を作っているから、本当の自分が受け入れてもらえると思えずバレたらどうしようという不安に苛まれる。

何をしても受け入れてもらえるという安心感がある関係の人(家族や親友等)といるときには症状が出ない、出ても軽度となる場合が多い。

逆に、職場など中途半端に継続する関係や飲み会など複数人の集まりの中で強く症状が出てしまう。初対面よりも2、3回接点がある中途半端な関係の人が苦手といった特徴があります。

また、進学や就職、一人暮らし、結婚、出産等による環境の変化によって症状が悪化することが多く、男女問わず10代(とくに高校時代)に発症しやすいのも特徴。

他人に迷惑をかけることを恐れる加害性は日本の文化圏特有と考えられてきましたが、実態を調査した結果アメリカでも一定数認められています。

概念が幅広く、人見知り、過度の気遣い、対人緊張~統合失調症やうつ病、依存症と関連するものや、発達障害やパーソナリティ障害と関連するものまである。

3~13%の高い生涯有病率で、うつ病やアルコール依存症、統合失調症との併存が多いことも示されました。

「対人恐怖症の人=人とまったく話すことができない人」というイメージを持たれがちですが、ほとんどの人が人と話すことはできる状態です。表面的にはうまく会話できる人もいます。

ただ、人と自然に緊張せず話したり、本当の自分を見せたりすることができず、人間関係をうまく構築できない状態なのです。

いずれ治るだろうと症状のつらさを我慢したり、ごまかして過ごしたりする方もおられますが、対人恐怖症は放置していても治りません

なぜなら、自然に治る機会となり得る人とのかかわりを回避してしまうからです。

対人恐怖症の状態では不安や恐怖から逃れることばかり考えて視野が非常に狭くなっているため、本やインターネットで調べても解決できないまま一人で悩み続けてしまう傾向が見られます。

対人恐怖症に用いられる概念、用語

引用元:社交不安障害の診断と治療、精神神経学雑誌 117(6), 413-430, 2015、日本精神神経学会

対人恐怖軽症例と対人恐怖定型例に二分されたものが、1997年に緊張型対人恐怖と確信型対人恐怖へと変わりました。

さらに4群に分ける概念も生まれ、妄想的確信を持っている患者に対しては思春期妄想症という名称がつけられています。

診断基準である米国精神医学会の「DSM-5」と対応させると、緊張型対人恐怖、第1群および第2群が社交不安障害とほぼ同じ。

確信型対人恐怖、第3群、思春期妄想症は醜形恐怖症/身体醜形障害、妄想性障害身体型に分類されると考えられています。

DSM-5でやや混乱をきたしやすい点は,BDDが身体表現性障害から強迫症および関連症群/強迫性障害および関連障害群に移り,醜貌恐怖(shubo-kyofu),自己臭恐怖(jikoshu-kyofu)が日本語名のまま他の特定される強迫症および関連症/他の特定される強迫性障害および関連障害として記載されたことである.BDDを強迫関連症として検討していくのがよいか,あるいはSADに関連したものとして検討していくのがよいか診断学的にも議論がなされているが,わが国では対人恐怖全体を一臨床疾患ととらえた上で亜型に分類するのが合理的であるとの考えが提案されている.

引用元:社交不安障害の診断と治療、精神神経学雑誌 117(6), 413-430, 2015、日本精神神経学会

醜形恐怖や自己臭恐怖といった特殊なものも対人恐怖症のサブタイプとして扱う方向になっています。

DSM-5が導入された現在、対人恐怖症は社交不安障害(社交不安症)と診断されるケースがほとんどです。

対人恐怖症の症状

不安や恐怖に飲まれてしまうことによる過度の緊張が症状を生み出しています。

さらに、症状が出ているのを知られることに恐怖を感じるため、隠そうとしてより緊張を増していく悪循環に陥るのです。

具体的には以下のような症状があります。

対面で人と話すとき、人前で話すとき、複数人のグループで話すときといった直接人と接する場面だけでなく、道路、電車の中、人ごみ等、人がいるだけのところでも症状が出て苦痛を感じるケースもあります。

自分のことにばかり意識が向いて(自意識過剰)他人のことが考えられない、相手に迷惑を掛けてはいけないのに掛けてしまう罪悪感等によって自分を責める、否定する。

「この症状さえなければ」と思って症状が出ないようにしようと頑張る方は多いですが、頑張れば頑張るほど余計に症状を意識することになりますのでやめましょう。

症状はあくまでも表面化しているものでしかありませんので、症状を生み出している原因を知ることが大切です。

対人恐怖症になる原因

対人恐怖症の原因には先天的要素と環境要因があると考えています。

先天的要素

不安を感じやすい、怖がり、恥ずかしがり、感受性が高い、影響を受けやすい、真に受けやすい、思い込みやすい、他人に興味が持てず一人遊びが好き等といった生まれつきの性質。

個人の特性を9つに分類するエニアグラムでタイプ4に当てはまる人は、感情に左右されやすくネガティブ思考であるため対人恐怖症になりやすい。(私もタイプ4です)

⇒エニアグラムのタイプが気になる方はこちらのサイトで診断できます

そもそも日本人の大半は「心を落ち着かせる働きをするセロトニン」を取り込むセロトニントランスポーターの数が少ないことから、脳の構造上どうしても不安を感じやすい傾向はあります。

HSP(ひといちばい敏感な人)や発達障害に該当するケースもあり、発達障害の二次障害として対人恐怖症を発症することも。

慎重で警戒心が強いことから「石橋を叩いても渡らないタイプ」と言われる人も結構います。

みんなが面白いと思うものを面白いと思えなかったり、興味関心の対象がマニアックだったり、周りと感性が大きく違っていることも影響しやすいですね。

その他、アトピー性皮膚炎、わきが、吃音、漏斗胸といった身体的特徴。

周りと異なる面が多ければ多いほどいじめやからかいの対象となりやすく「自分は変なんだ、おかしいんだ」と思うことで始まる自己否定が対人恐怖症につながっていきます。

環境要因

日本の文化

世間は人の生死を左右するほどの力を持っていた

昔の日本は村社会で「世間」が絶対的な力を持っていました。

村単位で農家の人たちが助け合うことで生活できていたわけですからね。

世間に従わないことはご法度であり、従わない人は村八分という極端な仲間はずれをされていました。

村八分にされると火事と葬式以外は誰も協力してくれない孤立状態になるから生きていけない。

つまり、生きていく上で世間に従うことは絶対だったわけです。

年配の方や田舎の人たちがよく口にする世間体はここからきています。

世間体を気にして生活することが自分の生死にかかわるほど重要という感覚なんですよね。

都心に住む若い人は「世間」に馴染みがないかもしれませんが、日本の文化に根付く世間への恐怖は遺伝子レベルで受け継がれています。

個人と社会が壊しきれずに残った世間

絶対的な力を持つ世間でしたが、明治維新で西洋の「個人と社会」という概念が取り入れられたところから壊れていきます。

しかし、アメリカのようにキリスト教が根付いているわけでもなく、多神教である日本は個人と社会が定着しないまま世間にすがる形となりました。

年功序列や終身雇用制度の崩壊で世間はどんどん壊れているのですが、田舎や学校といった集団を中心に世間が根強く残っているからややこしいわけです。

時代の流れは「個人と社会」のはずなのに、実態としては「世間」がまだまだ残っている。

芸能人の謝罪会見とかではいまだに「世間の皆様に…」という言葉が使われていますよね。

壊れかけた世間はそのまま世間として現れることもあれば、今の時代でいうところの「空気」として現れることもあるのです。

空気という名の世間に怖さを感じている

村社会にあった世間は明確だったのに対して、壊れかけた世間である空気は曖昧。しかも、世間のように従いさえすれば面倒を見てもらえる保障もありません。

名前の通り移ろいやすく不安定な「空気」を読んで周りと上手くやっていかないといけない。

だから、波風立てないように周りに合わせて自分を出さず、孤立だけはしたくないからと大して仲良くもない友達?(友達未満)と一緒に過ごしたりする人が増えました。

同じような服装や髪型で常に誰かと一緒にいるような人たちも実は怖がっています。

「空気が読めない」「発達障害」という言葉に過剰反応、「あいつは空気が読めていない」なんていう批判も恐れている証拠。

曖昧な空気を読むのは難しく従っていれば安泰というわけでもない、どこか安心できないコミュニケーションの中に怖さが生じるわけです。

日本人が人とのかかわりに怖さを抱えているのは、太宰治の「人間失格」が累計発行部数670万部以上を突破したこと、「嫌われる勇気」がベストセラーになったことからも証明されています。

空気を含めた「世間」を肌で感じているからこそ、人間失格で描かれた「人間恐怖」の感覚が理解できてしまうんですよね。

親子関係

親子関係で植え付けられた見捨てられることへの恐怖

大人になれば自分で稼げるから親の助けなしで生きていくこともできます。

しかし、小さいうちは親に養ってもらわなければ生きていくことができません。

親子関係は世間と同じく生死を左右することになるわけです。

だから、虐待を受けている子供でも必死に親にすがりついて何とか生き延びようとする。

明らかにおかしいと感じていてもそれを捻じ曲げてでも親に従う。

虐待までいかなくても親がヒステリックで話を聞いてくれなかったり、親の理想を押し付けてきたり、自分にとって望まないことでも従って適応していくわけです。

親の言いつけを守って弟の面倒を見る良い子なら受け入れてもらえる。

逆に良い子じゃなければ受け入れてもらえない。見捨てられてしまうかもしれない。

見捨てられたら生きていけない…

自分が生きていけないかもしれないというのはものすごい恐怖ですよね。

親に見捨てられることが怖い、親に嫌われることが怖い。

根底に植え付けられた恐怖心が他人とのかかわりにおいても影響する。

他人に嫌われるのが怖い。

嫌われる可能性があることが怖い、人と話すのが怖いにつながるわけです。

人に対する怖さが成長と共に積み上げられていく

基礎となるコミュニケーションの取り方は親子間で形成されます。

生まれてすぐは不快なことがあれば泣いて主張、快いことがあればニコニコしたり。

素直に自分の感情を表現するのですが、親とのかかわりでどんどん変わっていきます。

親に嫌われないように、機嫌を損ねないように顔色をうかがってきた子供は、他の人と接するときも顔色をうかがう。

一方的に親の愚痴を聞き続けてきた子供は、他の人の愚痴でも我慢して聞き続ける。

過干渉の親に言われるがまま動いてきた子供は、他の人とのかかわりでも言われるがまま動く。

人間は自分を守るために現状維持をする性質がありますので、親子間で上手くいったコミュニケーションを繰り返すことになるわけです。

だから、親に合わせるコミュニケーションが形成されていると他人にも合わせるようになってしまう。

相手に合わせているから受け入れてもらえる反面、「合わせないと受け入れてもらえないんじゃないか、見捨てられてしまうんじゃないか」という恐怖はどんどん膨らんでいくことになります。

社会の変化

昔の日本社会では、家族や親族同士で同じ地域に集まって住み、その中で祖父母、叔父、叔母、甥、姪、従兄弟、従姉妹といった親族とかかわりながら暮らしていました。

行事ごとがあれば都度集まってかかわらざるをえない環境で、年上、年下と付き合いながら人との付き合い方を自然に学ぶことができたのです。

イメージでいうとサザエさんの時代ですね。

男尊女卑の考えからひきこもりが許されない男性は無理矢理でも社会に出さされ、逆にひきこもりの女性は重宝されたという話もあります。

今の日本社会は核家族化が進み、親族が同じ地域に集まって暮らすことがなくなりました。

当然、親族同士での交流も希薄になり、年上、年下との付き合いもほとんどなくなっています。

そんな状況で育った子供は、友達からのイジメ、先生からの叱責があればすぐに登校拒否をするようになりました。

そうなっても、親は子供の自殺や暴力を怖れて叱ることができず、ひきこもりが増えているという話もあったり。

親がすべてに近い環境で育った子供は、親を理想化してその価値観に従って「良い子」で居続けるしかなくなるため、反抗期もなくなってきています。

本当は、親以外の人の価値観を知り、反抗期を通して親の価値観から脱出する必要があるにもかかわらず、それができていないために社会に適応できず苦しむ人が多くなっているんですよね。

親族が周りにいなくなったことで「学校」が大きな影響を与えるようになっています。

学校で良い先生や先輩、同級生等に巡り会って新たな価値観を知り、人との付き合い方を学べるケースもあれば、その逆もあり得る。

何でもインターネットで調べられるようになって経験が減ってしまったことも失敗や恥への恐れにつながっていると思います。

さらにSNSの普及によってコミュニケーションの取り方が複雑化。

いつでも連絡を取れる、つながれる、お互いの状況を知れるという便利さは息苦しさにもつながっているでしょう。

サービス競争でどんどん便利になっていく社会で、当たり前の基準が上がって寛容になれない人が増えました。

物やサービスばかりが進化して人が成長できない。いまや退職の申し出すら業者にやってもらうような時代になっているのです。

昔の日本社会が良かったとは言えませんが、時代の変化とともに対人恐怖症が生まれやすい社会になっているのは間違いありません。

対人恐怖心性の特徴である「集団に溶け込めない悩み」、「目が気になる悩み」、「生きていることに疲れている悩み」に関する平均値については、1993年の調査時よりも2008年の調査時のほうがそれぞれ男女共に有意に高くなった。この結果から、大学生の対人恐怖心性は時代的推移と共に高まっている可能性が考えられる。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察 – 愛知大学教職課程研究年報

発症に至るまで

自己否定の習慣により自己肯定感がどんどん失われていく。

自分の基準で生きれなくなり、他人や世間一般の基準にすがるようになる。

相手が悪くても責められず自分を責めてばかり。

自分を守ろうとする心理が働き、プライドが高くなり頑固になるから素直に人の話が聞けなくなる。

相手を責められないから怒りが湧かず、嫌だという感覚も麻痺。

存在意義を見失って「自分がいない方が上手くいく、自分じゃない人と話す方が相手のためになる」等と考え出す。

誰でも嫌がるようなこと、怒るようなことにも反応しなくなることで優しい人に見られる。

周りのイメージによってより自分のネガティブな側面が抑圧されて苦しくなっていく。

自分から壁を作って接しづらくしておきながら、相手が自分を嫌っていると被害妄想。人間不信を募らせる。

そして、限界を超えたときに対人恐怖症を発症するのです。

先天的要素と環境要因を抱えていても、限界を超えない限り発症には至りません。

発症の時期が中学という人もいれば、社会人になってからという人もいますし、事例からも限界を超えたときに発症していることがわかります。

対人恐怖症で悩んでいる人の特徴

自己評価

青年期における自己評価や自尊感情の低さや公的自己意識の高さは、対人恐怖心性の高さと有意に関連していることが明らかにされている。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察 – 愛知大学教職課程研究年報

自分は周りより劣っていると思うから無理をして周りに合わせようとする。頭が真っ白になる、顔のこわばり、赤面や震え、発汗は無理をし過ぎたオーバーヒートによるもの。

余裕がないから相手のことを考えられず、自分のことしか考えられない自分を責める。

自分が自分を否定しているから、他人も自分を否定するとしか思えない。自分を出せないから人との関係が築けないまま、表面的な付き合いで相手に合わせるだけ。

相手に負担をかけたり変に思われて「嫌われるんじゃないか」という恐怖心から悩みを打ち明けること、相談ができない。一人で解決しようと抱え込む。

自分の基準で自分を評価できないから、いくら頑張っても自信が持てない。だから、他人からの評価で埋めるしかなくなり、他人の目がどうしても気になってしまう。

相手に合わせてばかりで自分を見失うから意見が持てず「どっちでもいい」ばかりになる。

自己否定により自己肯定感が失われ、自我が確立されていないから自分に価値を感じられない。価値を見出すために大変な仕事を押し付けられても頑張ってこなそうとする傾向もある。

思考

白黒思考で葛藤を避け正しいか間違っているか、正義か悪かにこだわる。正解を求めて会話をしたり、行動したり。相手が間違っていることが許せない人ほど、自分が正しいということに価値を見出している。

頑固さ、プライドの高さ、執着、シャットアウト思考は自分を守るため。守りを固めているから人の話を素直に聞けない、受け取ることができない。自分の考えに固執するから視野が狭くなる。

周りの反応にアンテナを張っているから他人が気付かないような些細なことも拾ってはネガティブに考えてしまう。

人が納得するために必要な「感じる→考える→行動する」のうち、「考える」ばかりで疲れ果てて「感じる」ことも「行動する」こともないから腑に落ちない。

対人恐怖症で悩んでいる人が「頭ではわかっているのに」と口をそろえて言うのはこれが理由です。

感情

感情や欲求を抑圧しているから不安や恐怖に飲まれやすい。

嫌なことも嫌と言えず怒りや不満が蓄積されているから他人に投影されて怖さを感じる。相手が怒っていないのに怒っていると思ってしまう。怒りが出せないから相手からの攻撃が怖くて仕方なくなる。打たれ弱い。

本当なら耐えきれないほどのしんどさ、つらさがあるはずなのに、自分の気持ちを麻痺させて成り立たせている状態。嫌でも嫌と言えないから我慢することの積み重ねで心が悲鳴を上げているのが症状として表面化する。

症状を隠していたり安心できる相手には症状が出ないこともあって表面上は悩んでいないように見られやすく、家族や友人に話しても「誰も気にしてないよ」等と自分の苦しさを理解してもらえないことで余計に苦しむ。

認められたい、わかって欲しいが強いから、わかってもらえないことに悲しみ、怒りを感じる。「わかってもらえない=愛されていない」という感覚にもなるから耐えきれない。

対人恐怖症を克服するために効果的と言われる心理療法

対人恐怖症を克服するにあたって効果的だと言われている代表的な心理療法として以下の5つが挙げられます。

認知行動療法

認知の歪みが原因で精神疾患が起きているということを前提と考えて、その認知の歪みを修正していく療法。

うつ病と対人恐怖などの不安障害に対して確実な効果があることが科学的に証明されており、他の治療技法に比べて短時間で大きな効果があらわれると言われています。

ただし、ある程度改善して自分を客観視できる状態になってからでないと効果が出づらい面はあります。

視線恐怖症で何年も悩んでいる人が認知行動療法を受けたケースで、「見られていない可能性もあるのでは?」という話をされて「いや、絶対に見られています」と答えて何の効果も感じなかったという事例は多いです。

はじめはうつ病に対する治療法として確立され、その後、パニック障害・強迫性障害・対人恐怖などの不安障害や、発達障害、摂食障害、統合失調症の症状(幻覚や妄想)、パーソナリティ障害にも適用されるようになりました。

アメリカの保険会社やイギリス政府は、認知療法の治療効果を正式に認めており、欧米の精神療法のガイドラインには認知行動療法が推奨されていますが、日本ではまだまだ導入が遅れています。(2010年4月からうつ病に対する治療を中心に保険適応化されてきています)

森田療法

人間が本来持っている自然治癒力を活かし、不安をあるがままに受け入れて捉われから脱出する療法。神経症の治療法であり、対人恐怖症やパニック障害などに有効とされています。

不安をあるがままにしておいた状態で、本来の現実的な欲求や目的にそって行動して、少しずつ不安を受け入れて改善していくという流れですが、そもそも不安に対処しないまま我慢して行動できないので取り組むのが非常に難しいです。

森田療法によるカウンセラーとクライエントの会話が記載された本を読んでみて、行動をする前にしっかりとカウンセリングで対話することが準備となって行動できていたのかなという印象を受けました。

このカウンセリングでの対話という前提を抜きにあるがままだけを意識してやろうとするから、結局、あるがままにしようと思いつつもできないまま、できない自分を責めて悪化していくケースが増えているのではないかと思っています。

昔は入院させて何もできない状態にすることで人間の持つ本質的な欲求を呼び覚まして改善する入院治療が中心でしたが、近年は通院治療に変わってきており、日記をつけて指導する方法が一般的になっています。

催眠療法(ヒプノセラピー)

症状の原因が潜在意識にあるとして、催眠状態にして潜在意識を書き換えていく療法。

他の療法と比較すると料金が高いのも特徴の一つです。

ヒーリング系の音楽を流しながら催眠状態にしていくところもあれば、音楽を流さずにおこなうところもあります。

人によって催眠状態にならない人もいるため効果を感じないケースもあります。

また、一定以上の度合いの対人恐怖症は症状へのこだわりが強くなっているため、催眠療法ではなかなか効果が出ずにやめてしまうこともよくあるようです。

ちなみに、私自身も催眠療法を一度受けたことがありますが、効果はあまり感じませんでした。

来談者中心療法

来談者(クライエント)が自力で解決する力を持っていると信じて話を聴き続ける療法。

否定も肯定もせずただひたすらに話を聴くことで、クライエント自ら解決策に気付き動き出すのを待ちます。

傍から見れば単に話を聴いているだけのように見えますが、相手の話を否定も肯定もせずに聴き続けること、クライエント自らが解決する力を持っていると信じることは意外と難しく、来談者中心療法とうたっているところでも実はできていないことが多いです。

とくに大阪を中心とする関西圏では、おせっかいな性質を持つカウンセラーが多いため、本来クライエントを信じて待つべきところなのに、必要以上にアドバイスをして改善を妨げるケースが多いように感じます。

カウンセラーが自分の感情や価値観に左右されるとクライエントの話を否定したり、誘導したりしてしまうことも出てくるため、しっかりと教育分析を受けたカウンセラーでないと実践が難しいと言われています。

NLP(エヌエルピー)

「Neuro-Linguistic Programming」の略で、神経言語プログラミングと訳されます。

NLPとは、過去の心理学の最適化された所だけをコミュニケーション、ビジネス、セールス、教育などの現場に合わせて作られたものと言われています。

心理治療の現場で使用され、現在はビジネスや教育などの分野でも応用されています。

多くのNLPの研究家が独自のNLPを作り出しており、団体ごとで内容が異なっているため、NLPと言ってもまったく違う療法をおこなうところもあるようです。

対人恐怖症を克服するために有効なこと

対人恐怖症を克服するために有効なこととして以下の3つがあり、カウンセリングを受けながら複合的に進めていくことによって効果を発揮します。

客観視する力を養う

物事に対する考え方、捉え方と距離をとって自分で自由にコントロールできる力を養うことです。

対人恐怖症は以下のような偏った考え方に固執することによって引き起こされるものです。

  • 本当の自分を見せると嫌われてしまうに違いない
  • 人前で話すときは堂々と話さなければならない
  • 顔が赤くなると変に見られるに違いない
  • 私の方を見て話している人は私の悪口を言っているに違いない

このような考え方に固執して人と接していくと、その通りにできない自分を責めたり、なんとかそう思われないようにしなければと必死になって苦しむことになります。また、そのせいでぎこちない行動や仕草になってしまうので、相手に話しづらい印象や壁を感じさせてしまい、人間関係がうまくいかずに余計に悩み苦しんでしまいます。

ですから、固執してしまわないように客観視する力を養っていくことが克服に有効なのです。

この客観視する力は、まず自分を苦しめる考え方を見つけ出して、それが偏っているのか現実的なのかということを行動して得られる相手の様子や反応といった事実によって、客観的に検証していくことを繰り返して養っていきます。

客観視する力は次の「自己評価の見直し」とも深くかかわっています。

自己評価の見直し

自分に対する評価を客観的に見直すことです。

対人恐怖症の方は、

  • 私は生きている価値がない
  • 長所が一つもない
  • 変で気持ち悪い人間だ
  • 暗くて人を不快な思いにさせる人間だ

というように全般的に自分に対する評価が非常に低いのが特徴です。(過去にいじめを受けた経験がある人や育てられた家庭環境に問題があった人は、特に低くなっている場合が多いです。)

こういった思い込みがある影響で、変に気を遣い過ぎたり、自分に否がないことまで自分の責任にしたりしてどんどん対人恐怖症を悪化させて苦しんでいきます。

でも、その評価は客観的に見れば間違っているものばかりです。そんな人はなかなかいません。

ですから、自分の長所と短所はどこなのか等を考えながら自分に対する評価が偏っていることを無意識の自分に認識させていくことでその間違いを修正していきます。

自分の評価を見直すことで自分を信じる力(自信)がついて、人からどう思われているか、どう見られているかといった評価に左右されづらくなるので、対人恐怖症を克服するために有効なのです。

コミュニケーション方法の改善

人とかかわる際のコミュニケーションの取り方を勉強して改善することです。

対人恐怖症は対人関係に不安や恐怖を感じるものです。その不安や恐怖を感じる原因の一つとしてコミュニケーションの取り方が下手であるということが言えます。

元々コミュニケーションの取り方が下手な人はいないのですが、育てられた家庭環境やいじめ等の原因で、人間が本来できるはずの自然なコミュニケーションの取り方を忘れてしまって下手になってしまうのです。

ですから、その忘れてしまった自然なコミュニケーションの取り方を、人と話すときにどういうことを意識して話すのか、自分の意見を言いたいときはどうやって言うのが良いか等を勉強して行動していきながら思い出していきます。

人の性格や状態、場面など様々な条件の中でコミュニケーションの取り方は変化しますので、場数を踏んでいろんなパターンを経験することが大切になります。

【参考文献】

内沼幸雄:対人恐怖、講談社現代新書、1990

森田正馬:対人恐怖の治し方、白揚社、2011

黒木俊英:こころの科学「2009年9月号」対人恐怖、日本評論社、2009

鴻上尚史:「空気」と「世間」、講談社現代新書、2009