カウンセラーの克服体験談

心理カウンセラーの対人恐怖症克服体験談

奈良県天理市にて3人兄弟(弟2人)の長男として生を受ける。

生まれてすぐの頃から神経質で、襖を閉じる音で泣くほどの状態でした。さらに、高い高いを怖がるほどの怖がりでもありました。

当時好きだったアニメは、キン肉マン、ドラゴンボール、Dr.スランプアラレちゃんなど…特にフランダースの犬を見て泣いたりと感受性の高い子供でした。

父や祖父に車で保育園に送ってもらう時には、いつも泣いて嫌がって父や祖父、先生を困らせていました。保育園に通っていた頃から運動音痴にコンプレックスを感じていたために、みんなの輪に入れずに一人で砂遊びをしていたり、昼寝の時間に一人だけ起きていたりして常に先生に心配される存在でした。

小学校に入学した際は、引越しして入学したこともあり、周りは知らない子ばかり。そのせいもあって、余計にみんなの輪に入れずにイジメにあいました。図書室の怖い本を無理矢理見せられたり、下校中に石を投げられたり、いきなり後ろから体当たりをされたり、靴を隠されたり…怖がりで気が弱かったのでやられっぱなしで、いつも泣きながら保健室に行く自分が情けなくて仕方なかったです。給食を一緒に食べるグループ、遠足でのお昼ご飯、班やグループを決める時はいつも一人になってしまうので、同情で仲間に入れてもらっていました。

中学生になってからは、一時的に遊べる同級生が3人いてくれたおかげで、二年生までは楽しく過ごすことができていました。しかし、声変わりと共に自分の声にコンプレックスを持ったことで、次第に声を出すことができなくなっていきました。音楽の時間の歌うテストでも、人前で声を出すことができず先生に怒られる状態に…

高校に入る頃には、本格的に対人恐怖症になっていましたので、毎朝通学時には駅のトイレで下痢とおう吐を繰り返して、緊張のあまり急に意識を失って保健室に運ばれることも何度かありました。また、周りの目が気になりすぎて学校の売店でパンを買うことはおろか、人通りが少ない場所でも自動販売機でジュースを買うことすらできませんでした。

正直そんなしんどい思いをしてまで学校なんて行きたくなかったのですが、親に連れられて病院(精神科ではない所)に行って精密検査をしても異常が出なかったことと、親の影響で世間の目を意識しすぎていたため不登校という選択ができなかったことから、そのまま学校に行かざるをえなかったのです。

(当時、学校に勉強道具を置いておくこと(置き勉)をしてはいけないという固定観念があったため、片道20分の駅から学校までの坂道をずっと勉強道具一式を入れたかばんを肩にかけて歩いていたため、背骨が曲がり今も定期的に整骨院に通わないといけない状態になっています。)

高校時代と言えばまさに「青春」真っ只中。当然、周りのみんなは青春を謳歌して、バイトや恋愛、友人と馬鹿みたいに騒いで遊んだりしていました。そんな充実したみんなを尻目に私は周りの目が気になって自動販売機でジュース1本買えない状態。人と話せない私にとって、恋愛なんて夢のまた夢でした。

教科書や体操服など忘れたとき、周りのみんなは他のクラスの人に借りてきて、先生もそれができるのが当たり前という感覚でしたので、それができない私にとっては本当につらかったです。そういう理由から、忘れ物は絶対にしたくなかったのですが、不安や恐怖といった余計なことばかり考えていた当時の私には集中力がなかったため、どうしても忘れ物をしてしまって苦しむという悪循環を繰り返していました。

ですから、そんな周りと比較して「なんて俺はダメなんだ!」と自分を責める気持ちが非常に強く、劣等感にさいなまれて「生きている価値がない」「こんな惨めな思いをするくらいなら死にたい」と常に思っていました。「絶望」という言葉がその当時の私にはぴったりでしたね。

毎日、深夜まで起きてラジオ番組を聴きながら、テレビゲームをすることで現実逃避を繰り返し、自分に対してどうしようもない怒りがこみ上げて泣いた日もありました。「親にも学校の人にも迷惑を掛けている俺が生きていていいのか?」と思うことも多く、その度にむなしい気持ちでいっぱいになっていました。生きていることが本当にむなしかったです…

koukoujidai当時の私は場面緘黙症にもなり、学校では声が出せない状態になっていましたので、先生からはクラスの輪を乱す厄介者として目をつけられて嫌がらせも受けていました。クラスのみんなの前で起立させられて、「西橋、何かしゃべれよ。」と言われて赤面したまま立ちつくしたことは今でも記憶に残っています。

同級生にも運動音痴で話さない私を嫌う人がいて、わざと聞こえるように陰口を言われたりしていました。私が自分のクセ毛が嫌いで前髪を目の辺りまで伸ばしてまっすぐに揃えることにこだわっていた(こういう変なこだわりも対人恐怖症の症状の一種です)こともあり、あだ名は「つぶやきシロー」でした。同じクラスの人から「あいつなんでいるんやろ?」とわざと聞こえるように言われたときは本当につらかったです…

卒業する頃には、みんなが嫌がった同窓会の幹事を推薦で押し付けられるという出来事もありました。

なんとか暗黒の高校時代を生き延びた私が進んだ先は親から勧められた専門学校でした。祖父に「自分を変える」と宣言して専門学校へ入学しましたので、入ってすぐの頃は頑張ってクラスの人に話しかけに行ったのですが友達はできず、数ヶ月で結局また誰とも話せない自分に逆戻り。

同級生や弟に彼女ができていたので、母親から「まだ彼女できへんの?」「あんたはお見合い結婚しかないね。」と言われ続けて、余計に自分に自信がなくなっていきました。将来への絶望感をひしひしと感じていたせいで、早く年寄りになって誰にも構われずに気楽な老後を過ごしたいと現実逃避する日々でした。

勉強面だけは何とか頑張って、全国トップの成績をあげることもあったのですが、会計士を目指すコースであったため、どんどん勉強が難しくなり、唯一心の拠り所にしていた勉強ができなくなってしまいました。もう自分には何も良いところがない、このまま進んでもしんどいだけ…

「このまま人とまともに話せずに社会人になれたとして、お見合いで結婚できたとして、果たして俺は幸せなのか?それに、会計士になるという目標は自分で選んだわけじゃないし、勉強も難しいし学校生活も楽しくないからもうやめたい。」

身内から期待されていてその道に進むことは絶対だと思っていた私は、両親に泣きながらやめたいという意思を伝えたところ、「なぜ泣いているのか分からない」という不思議そうな表情で簡単に承諾してくれました。(たぶん、当時の私の気持ちは親には理解できなかったのだと思います。)

このことがきっかけとなって、一時的に前向きな気持ちを持てるようになりました。そして、「自分を変えたい、人と普通に話せるようになりたい、友達が欲しい、恋がしたい…」今まで心の底に押し込めていた感情があふれ出してきたのです。

「もし営業職に就けたら、自分を話さざるをえない状況に追い込めるのではないか?」という一心で就職活動を頑張ったところ、運良く希望の「営業職」で採用してもらえることとなりました。あがり症でしたので、顔を真っ赤にして震えながら面接を受けていたのですが、頑張って必死に話す私を評価してくださったそうです。

就職先が決まり、初めて1か月以上の期間バイトをしたことで、そのバイト先で現在の妻と出逢うことができました。運良く希望通り営業職として内定をもらい、初めて長期で働いたバイト先で彼女ができて…このときは「もう対人恐怖症とは無縁になるはず」そう信じてましたね。

その後、内定をもらった運送会社へ入社。合宿研修で「自分を変えよう!」と意を決して、今まで一度もやったことがないリーダーに立候補しました。リーダーシップを執らざるをえない状況と軍隊並みの合宿研修という過酷な環境によって「人からどう思われているか」「どう見られているか」といったことを気にする余裕がなくなったことが功を奏して、当時の同僚とは普通に話せて、遊びに行けて、飲みに行けて、最高に楽しい日々を過ごすことができていました。

真面目に頑張る姿と歴代トップの営業成績が評価されて、常に最高ランクの評価をいただき、上司にもかわいがられて昇格も順調。しかし、能力以上の評価をされていたことでプライドが高くなり、また、年功序列制度への不満から退職することとなったのです。在籍時には、営業で9時~18時まで外回りをして、そのまま物流センターで商品の梱包、発送業務、配達まで行い深夜3時まで、日によっては明け方まで働く過酷な労働を半年以上経験したこともありました。(アットホームな職場で、かつ営業としても数字が上がって、結構うまくいっていたように思っていたのですが、当時も事務所に戻ると誰とも話せず孤立しがちでした。)

求人サイトでスカウトされて高歩合の投資不動産会社へ転職。そこでは上司からのパワハラ、暴力が日常的にあり、契約に失敗した場合マンションを買い取るという誓約書に署名・捺印させられたこともありました。その結果、対人恐怖症が悪化して、さらに新型うつ状態にまでなってしまいました。職場でいつも上司におびえていた為に、先輩から「おびえた小動物のようやな」と言われたり、社内で電話するときも「誰かに聞かれているのではないか」「変なことを言ったら怒られる」といったことを考えすぎて普通に話せなかったり、震えて声が出ない状態になったこともありました。

そんな日々のつらさから逃げ出したい一心でわずか10ヶ月で退職したのですが、1年満たずに辞めてしまったこと、対人恐怖症が悪化した上に新型うつ状態で、うまくコミュニケーションが取れなくなってしまっていたことから、転職先がまったく決まらず、引越しなどの日雇いバイトをしてなんとか収入を得ていました。このときに妻の妊娠が発覚したために、妻の母からも怒られる状態でした。

そんな中、外資系保険会社に拾ってもらうことで何とか転職することができました。しかし、転職できたのは良かったのですが、対人恐怖症が悪化した状態でかつ新型うつ状態でもありましたので、私はほとんど誰とも話をせずに自己流の営業手法で頑張ることになっていました。給料の半分が固定で半分が歩合という半分自営業のような仕組みの中で働いていたにもかかわらず、定時に出社して定時に帰社して、まるで固定給がもらえるサラリーマンであるかのように日々を過ごしていました。

チーム制になっていたため、チーム内のほとんどの人が交流を持っていたにもかかわらず、私だけが孤立していたような状態でした。飲み会があっても参加せず、挨拶すらまともにできない状態で過ごしていたために100人近くがいるオフィスの中で一人孤立していました。

主に電話で営業をかけてアポイントを取り付けて訪問するスタイルだったのですが、電話で断られたり怒られたりしているのを周りの人に聞かれるのが怖くて、離れたブースで人に聞かれないように電話をすることが多かったです。当然、そんな状態でしたから、電話でもまともに話せることが少ないのでアポイントは取れず、行ってもなかなか契約にはつながらないという状態で苦しみました。

会社でも同僚と話をできないどころか挨拶すらまともにできないような人間が、営業で他人と話して契約を取れるなんてありえない話ですよね(笑)でも当時の私にはそれが分からずに、とうとう成績不振による解雇という最悪の事態にまで進んでしまったのです。

解雇される少し前の出来事でしたが、上司から解雇を防ぐために休日出勤をして営業を頑張ってみないかと言われ、一度だけ土曜日に出勤したことがありました。

そのとき、同じチームで優秀な成績を上げている人がたまたま出勤されていて私に声をかけてくれました。そして、私に諭すように、「西ちゃんはいつも飲み会にも参加しないし、挨拶もしないよね。俺も挨拶してもらった記憶が無いくらいだし。難しいかもしれないけど話しやすい人とだけでいいから、付き合いしていくようにした方がいいよ。」とアドバイスをしてくださったのです。

その話を聞いたとき、ほぼ解雇が確定していましたので、私の自信は崩壊して精神的にもズタズタの状態でしたが心にしみるようにスッと入ってきて泣きそうになりました。それまでは上司の話でもかたくなに聞き入れなかったのですが、「その通りだな」と初めて感じて受け入れることができたのです。

その後、解雇はされたのですが、当時の上司が転職先を紹介してくださって、何とか失業を免れることができました。当時の上司には今でも頭が上がらないほど感謝をしています。

転職してから先輩からいただいたアドバイスの通り、転職先の同僚や上司と一緒に飲みに行ったり、今まで連絡を取っていなかった以前の職場の同僚で話しやすかった人と連絡をとって飲みに行ったりしました。

断られるのではという不安はすごく強くて勇気を振り絞ったのですが、会ってみたら「びっくりしたけど嬉しかった」と言ってもらえて本当に嬉しかったです。

そういう行動を繰り返していく中で、人との接し方、コミュニケーションの取り方を思い出すことができ、また新たにコミュニケーション能力を向上させることもできて人とのかかわりを持つことへの恐怖が次第に薄れていきました。さらに、友達ができていく自分に自信を持てるようにもなっていきました。(この時にほぼ対人恐怖症を克服できた状態でした。)

しかし、紹介してもらった転職先は、上司と部下の関係が最悪で毎日喧嘩、新型うつ状態になっている人もいるような所だったので、ほぼ対人恐怖症を克服できていたにもかかわらず、上司と同僚から相談されるという板ばさみ状態でストレスが溜まりすぎて、ついに私自身も過呼吸で倒れてしまったのです。

毎日愚痴を聞きながら変わらない環境をどうすればよいか途方にくれていたとき、一冊の本と出会いました。丸山先生の「つい心がかたくなになったとき読む本」でした。その本との出会いがきっかけとなって、日本メンタルヘルス協会で心理学を勉強することになったのです。

そして、心理学をどうやって実際の職場で活かせるかを何度も試しながら実践して、やっと自分の心のコントロールがうまくできるようになり、上司と同僚の仲を取り持つ役目を担えるようになったのです。

医者から90%以上成功しないと言われた娘の心臓の手術が成功。命の大切さ、今この一瞬を生きる大切さを実感するという貴重な経験もあった中で、昔から夢見ていた起業への思いがよみがえり、FP、社労士、行政書士などの勉強をして自分の本当にやりたいことを探す日々。

そして、「自分が苦しめられた心の問題で苦しむ方々の助けになれる仕事がしたい。」という思いから、カウンセラーとしての起業を決意するに至りました。

以上が私の対人恐怖症体験談です。

読んでいただいて気付かれたと思いますが、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら克服へと向かっていく感じになります。この点に関しては、全員に共通していることです。

人によって対人恐怖症の内容も度合いも違うので参考にならないかもしれませんが、こういう克服の実例もあるんだなと思っていただけたらいいかなと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

西橋康介

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