村社会が色濃く残っている日本ではいまだに村八分がおこなわれてます。

恐ろしすぎる村八分…全くの孤立状態、葬儀にも来てもらえず 奈良県内自治会に「是正勧告」

村八分だと葬儀には来てもらえるのでこれはもう村九分ですよね。

地元の奈良県天理市だったのでインパクトはありましたが、以前から村社会の問題は肌で感じていました。

母親が奄美大島出身ということで田舎の人とかかわる機会が度々あり、住んでいた場所も天理市の村でしたから村社会がどういうものかよく知っています。

祖父が語りだすと繰り返し出てくる「世間体」という言葉。

「みんなと同じ」が好まれ「みんなと違う」は忌み嫌われる。

多数派が正しく少数派は間違い。

これは一部の村だけで起こっている問題ではありません。

村以外のところでも村八分のように排除されることもあれば、「みんなと同じ」という正義を振りかざして個性を殺しにかかることも。

特定の人を袋叩きにするネットの炎上騒動もこの一環ではないかと思っています。

集団生活になる学校ではスクールカースト、グループ。職場は少しずつ変わってきているところもありますが、まだまだ村社会が根強く残っている印象です。

異質なものを排除する村社会

村は非常に保守的です。

変化によって自分達の秩序が乱され不安定になることを恐れます。

だから、行事ごと、決まりごとにうるさい。

村の人たちに嫌われると村八分によって生活が困難になるから、周りの目、世間体を異常なまで意識せざるをえなくなる。

村八分は些細なことが原因となります。

ただ、村という集団にいる人たちを不快にさせただけですから。

ひどいところではサングラスをかける等、村の人たちがやらないようなことをやっただけで村八分にされたケースもあるそうです。びっくりを通り越して唖然とします。

「人と違う個性を表現する」だけで排除の対象になってしまうわけです。

さすがにここまで極端でないにしても学校や職場、地域のコミュニティで同じようなことは起こっています。

自分達と違う人がどういう人なのかを知ろうとせず排除する不寛容な社会。

LGBT等について議論が起こりやすく、職場で多様性を認め合う研修が実施されたりするのも、認められていないからこそですよね。

私のように個性を追い求める性質(エニアグラムタイプ4)を持っていて、しかも発達障害の傾向があるとなれば「普通」の人とは違うところが多々あるので、素のままではなかなか受け入れてもらえませんでした。

同じくらいの人はなかなかいないと思いますが、それでも他人と感性が違っていたり、個性が強かったりすると集団に受け入れてもらいにくいのはあります。

最近は空気が読めないだけですぐ「発達障害じゃないか」と言われるようになってきてますからね。

発達障害だと知ることで認め合えるようにしていこうという流れだったはずが、変なラベリングに使われだして排除に向かっているのではと思っています。

村社会による個性の排除が対人恐怖につながっている

対人恐怖症で悩む人の多くは世間一般の人に比べて敏感で細かいことを気にしやすかったり、一人の時間が大切でみんなが好きな集まりが苦手だったり、見た目や感じ方等に特徴があったりします。

「普通ならこうするはずなのにこの人はなぜやらないんだ」

「理解できない」

「おかしい」

親をはじめとして周りの人間が「普通」「世間一般」を押し付けることで本人の個性は殺され、「みんなと違う自分はおかしい」と自己否定が始まることでどんどん自信を失い病んでいく。

自分を押し殺しながら周りの「普通」に合わせた自分を演じては、いつ「みんなと違う自分」がバレて排除されるかを恐れている。

社会がみんなと同じを求める以上、どうしても合わせざるをえないのはあります。

しかし、合わせてばかりで自分が出せないままでは生きづらく苦しい日々が続いてしまう。

一人一人が少しずつでもみんなと違う自分を表現して、少しでも理解してもらえるように働きかけていくことが必要ではないかと思っています。

自分だったら気に留めないような何気ないことを気にしてなかなか割り切れない人もいるんだ。

みんなでワイワイするより自分の時間を大事にしたい人もいるんだ。

空気が読めないのはみんなが言いづらいことを忖度せずスパッと言えるという良さでもあるんだ。

発達障害、コミュ障等という一言で片づけられてしまうのを防ぎ、具体的に何に対してどう感じ、どういう考えを持っているのかを伝え、お互いに知って支えあえる関係性を築いていく。

私自身も苦労し続けてきた部分であり簡単でないことは百も承知ですが、今後社会を変えていくためにも個性を出して上手くやっていける人を一人でも多くサポートできればと思っております。