
子供なら誰でも幼児的万能感を抱いています。
小さい頃、幼児的万能感があるからこそ、自分の欲求を満たそうと能動的に行動する。
必要なものではあるのですが、思春期を迎えても強く残っていると何かしらの問題が表面化してきます。
家での暴言、暴力、万引きといった問題行動や対人恐怖症で悩むことになってしまう。
なぜなら、幼児的万能感を強く抱いたままだと自己中心的で自分の欲求を叶えるために相手をコントロールすることを考えてしまうからです。
親子関係などによって幼児的万能感がある程度なくなっていれば、他人はコントロールできないと認識できるので他人の事情も考えて欲求が収まるのですが、幼児的万能感が強いとこれが収まってくれません。
だから、自分の思い通りにならないことがあるとすぐにイライラしてストレスを抱えやすくなる。
ストレスのはけ口として親に暴言を吐いたり、暴力を振るったり、物に当たったりしてしまうわけです。
幼児的万能感は何でもコントロールできる感覚にさせる
「自分でコントロールできることは限られている、コントロールできないことがあって当然だ」と無意識に理解できているなら、自分の思い通りにならなくてもイライラすることはほとんどありません。
これはうちの娘にも言えることで、とくに娘は私に似て幼児的万能感が強いです。(ほんと親は大変だっただろうなと娘の姿を見て申し訳なく思います)
例えば、仕事に出る前の時間に私と遊ぼうと言ってきたときに「じゃあ、先に服着替えるから」と自分のことを優先しようとすると怒り出します。
それでも私が服を着替え続けようものなら「早くしてよ!」と泣きわめくのです。
娘とすれば今すぐ遊びたいのに、私が服を着替えることによって遊べない。
遊べる時間が減ってしまうから泣きわめいて今すぐ遊べるように私をコントロールしようとしているのです。
これが幼児的万能感と言われるもので、欲しいものが買ってもらえなくて駄々をこねて床を這いずり回る子供をイメージしていただくとわかりやすいかもしれませんね。
子供の幼児的万能感に歯止めをかけるのは父親の役割
この幼児的万能感に対して小さい頃から父親がどうやって接するかは子供の成長過程において非常に重要な意味を持ちます。
なぜなら、父親の接し方次第でこの幼児的万能感をなくしていくことができるからです。
幼児的万能感が中学、高校と思春期を迎える頃まで強く残っていると、子供を苦しめることになってしまいます。
本当に子供のためを思うのであれば、父親の役割としてダメなことはダメ、無理なことは無理としっかり突き放すことが必要なのです。
父親には、子どもに「ダメなものはダメ」と否を突き付け、社会の掟や現実の厳しさを教え込む役割がある。父親が「何でも許される」という万能感に歯止めをかけ、自分の限界を体感させないと、誇大な万能感と自己顕示性が残り、将来的に社会への適応を妨げることとなる。
そして、同時になぜなのかという理由もちゃんと伝えるようにして下さい。
子供は自分の欲求を優先し過ぎて相手の事情を考慮できていませんが、どういう事情でダメなのか、無理なのかをちゃんと伝えていくことで少しずつ相手の事情を理解できるようになってきます。
私にも当てはまる話ですが、どうしても父親は娘に甘くなってしまうところがあるため、頑張って意識して取り組むことが必要だと自戒の意味も込めて書きました。
子供が成長過程で苦しまないように、親として今のうちにできる限りのことをやっておきましょう。