人と話すのを怖がっている女性

対人恐怖症とは何なのか?原因として考えられること、克服方法についてお伝えしていきます。

人と話すのが怖い…対人恐怖症とは?

対人恐怖症は、対人場面で強い不安や緊張を抱くため、人とのかかわりを恐れて避けようとする神経症です。

対人不安、対人緊張、社会不安、人間恐怖とも表現され、対人恐怖症の傾向があることは「対人恐怖心性」と呼ばれています。

DSM-5が導入された現在、対人恐怖症は社交不安障害(社交不安症)と診断されるようになりました。

3~13%の高い生涯有病率で、うつ病やアルコール依存症、統合失調症との併存が多いことが示されています。

対人恐怖症の実態

人と話すのが怖いと言っても、家族と話すときまで怖さを感じる人は少ないです。

家族や親友など、自分をさらけ出しても受け入れてもらえる安心感がある人は怖くない、症状が出ても軽度となる場合がほとんど。

学校や職場などのコミュニティで3人以上になると話せない、年下か年上なら話せるけど同年代とは話せない、会話中の沈黙が耐えられない、初対面よりも2回目以降の会話が苦手といった特徴があります。

「対人恐怖症=ひきこもりで人とまったく話せない状態」というイメージを持たれがちですが、実際は学校や職場で最低限の会話はできている人の方が多いです。表面的にはうまく会話できる人もいますからね。

ただ、自分を作って人と接しているため、関係を深めて仲良くなっていくことができないのです。

「自分がどう思われるか、どう見られるか」と他者の反応に神経を張り巡らせ、主観的に拾っては自分が気にしていることに紐づける。

対人恐怖症で悩んでいる人は、極端な自意識過剰の状態になっていると言えます。

いずれ治るだろうと症状のつらさを我慢し続けたとしても、人とのかかわりを回避してしまう以上、改善に向かうことはほとんどありません。

人付き合いを避けることばかり考えて視野が狭くなっているため、本やインターネットで調べても解決できないまま一人で悩み続けてしまう傾向が見られます。

対人恐怖症の症状

不安や恐怖に飲まれてしまうことによる極度の緊張状態が症状を生み出します。

さらに、症状が出ているのを知られることに恐怖を感じるため、隠そうとしてより緊張を増していく悪循環に陥るのです。

症状は「変に見られている」「悪口を言われている」といった被害性、「相手を見て迷惑を掛けてしまう」といった加害性の二つに分類されます。

    他人に迷惑をかけることを恐れる加害性は日本の文化圏特有と考えられてきましたが、実態を調査した結果アメリカでも一定数の症例報告があったようです。

    対面で人と話すとき、人前で話すとき等の直接人と接する場面だけではなく、道路、電車の中、人ごみ等、人とかかわりを持たない場面でも症状が出る人がほとんど。

    「この症状さえなければ」と思って症状をなくそうする人が多く、頑張れば頑張るほど症状への意識を強めて悪化していく傾向が見られます。

    なぜ人と話すのが怖くなってしまうのか?

    対人恐怖症の原因には「先天的要素」と「環境要因」があります。

    先天的要素

    不安を感じやすい、怖がり、恥ずかしがり、感受性が高い、影響を受けやすい、真に受けやすい、思い込みやすい、他人に興味が持てず一人遊びが好き等といった生まれつきの性質。

    個人の特性を9つに分類するエニアグラムでタイプ4に当てはまる人は、感情に左右されやすくネガティブ思考であるため対人恐怖症になりやすい。(私もタイプ4です)

    ⇒エニアグラムのタイプが気になる方はこちらのサイトで診断できます

    そもそも日本人の大半は「心を落ち着かせる働きをするセロトニン」を取り込むセロトニントランスポーターの数が少ないことから、脳の構造上どうしても不安を感じやすい傾向はあります。

    HSP(ひといちばい敏感な人)や発達障害に該当するケースは珍しくなく、発達障害の二次障害として対人恐怖症を発症することも。

    慎重で警戒心が強いことから「石橋を叩いても渡らないタイプ」と言われる人は結構います。

    みんなが面白いと思うものを面白いと思えなかったり、興味関心の対象がマニアックだったり、周りと感性が大きく違っていることも影響しやすいですね。

    その他、アトピー性皮膚炎、わきが、吃音、漏斗胸といった身体的特徴。

    周りと異なる性質が多ければ多いほどいじめやからかいの対象となりやすく「自分は変なんだ、おかしいんだ」と思うことで始まる自己否定が対人恐怖症につながっていきます。

    環境要因

    日本の文化

    田舎の風景

    まずは日本人が根底に抱えている人が怖いという感覚から。

    「人と話すのが怖い」というのは特殊な、おかしい感覚と思われるかもしれませんが、実は日本人が誰しも抱えているものです。

    私たち日本人は「社会からの孤立=死」という感覚を持って生きています。

    • 和を以って貴しと為す
    • 自己主張より他者配慮
    • 個人主義より集団主義

    以上のような言葉で表されるように、みんなのために生きる、自分を犠牲にしてでも人の為に、という考え方が根付いているわけです。

    大規模災害で被災地以外の人が自粛したり、募金やボランティアを必死になってやるのも、日本が諸外国に比べて殺人より自殺する人の比率が高いのも、日本人特有の考え方が影響していると言われています。

    集団の中の自己主張が毛嫌いされ浮いてしまうことを恐れるため、みんな同じ、世間体、平均、普通といった概念に縛られて個性を押し殺している。

    このような社会で生きていく限り誰もが多かれ少なかれ他人の目を気にせざるをえないので、日本人は全員対人恐怖症だと言えるかもしれません。

    親子関係

    お絵描きをしながら話す娘と母

    自分の性質や特徴、感性を親に否定されてきた。

    兄弟姉妹、他人と比較してダメ出し。自分と他の兄弟姉妹に対する親の態度が違う。

    親の考えを一方的に押し付けられることの繰り返しで「言っても聞いてもらえない」「言ってもムダだ」という諦めが生まれる。

    暴力を振るう親、ヒステリックな親の顔色をうかがってビクビクしていた人もいます。

    世間を基準にした正しいか間違っているかの規範意識、結果がすべてという考えによって本当の自分をさらけ出せない。

    ある条件を満たしたときだけ親に認めてもらえる条件付の愛情により「いい子」を演じてきた人は多いです。

    過干渉、過保護で自我(アイデンティティ)が確立されないから反抗期もなく従順。

    「嫌でも親に従わざるを得ない、いい子でないと見捨てられるかもしれない」といった親子関係での恐怖心が人に対する怖さを生み出しているのです。

    学校

    帰宅する女子中学生数人の後ろ姿

    集団生活により協調性が身につく反面、他人との違いを意識するようになる。

    勉強ができるかどうか、運動ができるかどうか、容姿がいいかどうか、面白いかどうか、友達が多いかどうか等、表面的な要素で優劣を判断。

    見た目や生まれ持った性質(HSP、発達障害など)が周りと違うといじめやからかい、いじりの対象になりやすい傾向があります。

    スクールカースト、女子の場合はグループも意識することになり、孤立しないために集団の中で自分の居場所を確保しようと必死になる。

    中学で知らない子ばかりのクラスになったり、転校したときに上手く馴染めなかった場合、周りに合わせる自分を演じて本当の自分を抑え込んでしまう。

    先生からありのままの自分を否定された経験。デリカシーのない友達からの指摘や悪意のある言いがかりによって、本当はおかしくないのにおかしいと思い込んでしまうことも。

    いじめはもちろん、仲良くしていた友達が急に無視してきたり、仲間外れにされたりすることで、人を信じられなくなることもあります。

    社会の変化

    昔の日本社会では、家族や親族同士で同じ地域に集まって住み、その中で祖父母、叔父、叔母、甥、姪、従兄弟、従姉妹といった親族とかかわりながら暮らしていました。

    行事ごとがあれば都度集まってかかわらざるをえない環境で、年上、年下と付き合いながら人との付き合い方を自然に学ぶことができたのです。

    イメージでいうとサザエさんの時代ですね。

    男尊女卑の考えからひきこもりが許されない男性は無理矢理でも社会に出され、逆にひきこもりの女性は重宝されたという話もあります。

    今の日本社会は核家族化が進み、親族が同じ地域に集まって暮らすことがなくなりました。当然、親族同士での交流も希薄になり、年上、年下との付き合いもほとんどありません。

    インターネットの普及により、経験の機会が減少したことも失敗や恥への恐れにつながっているでしょう。

    さらにSNSの登場でコミュニケーションの取り方が複雑化。

    いつでも連絡を取れる、つながれる、お互いの状況を知れるという便利さは息苦しさにもなります。

    どんどん便利になっていく社会で物やサービスばかりが進化して人が成長できない。いまや退職の申し出すら業者にやってもらうような時代ですからね。

    昔の日本社会が良かったとは言えませんが、時代の変化とともに対人恐怖症が生まれやすい社会になっているのは間違いありません。

    対人恐怖心性の特徴である「集団に溶け込めない悩み」、「目が気になる悩み」、「生きていることに疲れている悩み」に関する平均値については、1993年の調査時よりも2008年の調査時のほうがそれぞれ男女共に有意に高くなった。この結果から、大学生の対人恐怖心性は時代的推移と共に高まっている可能性が考えられる。

    引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

    対人恐怖症を発症するメカニズム

    自己否定の習慣により自己肯定感がどんどん失われていく。

    自分の基準で生きれなくなり、他人や世間一般の基準にすがるようになる。

    相手が悪くても責められず自分を責めてばかり。

    自分を守ろうとする心理が働き、プライドが高くなり頑固になるから素直に人の話が聞けなくなる。

    相手を責められないから怒りが湧かず、嫌だという感覚も麻痺。

    存在意義を見失って「自分がいない方が上手くいく、自分じゃない人と話す方が相手のためになる」等と考え出す。

    誰でも嫌がるようなこと、怒るようなことにも反応しなくなることで優しい人に見られる。

    周りのイメージによってより自分のネガティブな側面が抑圧されて苦しくなっていく。

    自分から壁を作って接しづらくしておきながら、相手が自分を嫌っていると被害妄想。人間不信を募らせる。

    そして、限界を超えたときに対人恐怖症を発症するのです。

    先天的要素と環境要因を抱えていても、限界を超えない限り発症には至りません。

    発症の時期が葛藤を抱えやすい思春期(中学~高校時代)に多く、限界を超えたときに発症していることがわかります。

    対人恐怖症で悩む人の特徴

    自己評価が低い

    青年期における自己評価や自尊感情の低さや公的自己意識の高さは、対人恐怖心性の高さと有意に関連していることが明らかにされている。

    引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

    自分は周りより劣っていると思うから無理をして周りに合わせようと常に頑張っています。

    頭が真っ白になる、顔のこわばり、赤面や震え、発汗は無理をし過ぎたオーバーヒートによる現象です。

    自分が自分を否定していることで他人も自分を否定するとしか思えない。自分を出せないから人との関係が築けないまま、表面的な付き合いで相手に合わせるだけ。

    相手に負担をかけたり変に思われて「嫌われるんじゃないか」という恐怖心から悩みを打ち明けること、相談ができない。一人で解決しようと抱え込みます。

    自分の基準で自分を評価できないから、いくら頑張っても自信が持てない。だから、他人からの評価で埋めるしかなくなり、他人の目がどうしても気になってしまうのです。

    自己否定により自己肯定感が失われ、自我が確立されていないから自分に価値を感じられない。価値を見出すために大変な仕事を押し付けられても頑張ってこなそうとする傾向もあります。

    認知の歪み

    対人恐怖症の人は以下に挙げるような歪んだ考え方を持っています。

    0か100か思考(白か黒か思考)

    1~99が無く、少しでも欠けてしまうと0、できたとしても100でなければ0と同じと思う極端な考え方です。

    過剰な一般化

    過去に1、2回あったマイナスの出来事が常にどこででも起こると決め付ける考え方です。

    マイナス面捜索思考

    出来事に対してとにかくマイナス面を探して、それだけに執着して他の良い部分が見えなくなってしまう考え方です。

    プラス面否定思考

    客観的に見れば良いことを否定してしまう考え方です。

    勝手な読心術

    相手の部分的な行動や発言だけで、相手はこう思っているに違いないと決め付けてしまう考え方です。

    予言者

    「こんなことを言ったら上司に怒られる」「飲み会に行ってもうまく話ができない」「自分を出して人付き合いをすると必ず嫌われる」といった自分に対する無意識の予言。

    破滅型思考

    些細なことで最悪の事態を想定してしまう考え方です。

    感情的な予測

    事実ではなく自分の感情をあたかも事実であるかのように捉えて、それを根拠にして物事を判断する考え方です。

    すべき思考

    「~すべき」「~でなければならない」という考え方です。

    自分への責任転嫁

    自分と関係ないことまで自分の責任だと決め付けて自分を責める考え方です。

    感情の抑圧

    表面上はいい人、無害な人を演じているため、嫌悪や怒り等の感情が抑圧されています。

    「ポジティブな感情は出せてもネガティブな感情は出せない」と言う人もいますが、どちらも場面によっては波風が立つ危険性があるので全般的に感情が出ない状態になっている人がほとんどです。

    自覚がないまま蓄積された怒りや不満が他人に投影され、相手が怒っているように見えるから怖さを感じる。

    また怒りが出せないことで攻撃性を失い、無防備な感覚になることが相手の攻撃性への恐れにつながっています。

    本当なら耐えきれないほどのしんどさ、つらさがあるはずなのに、自分の気持ちを麻痺させて生活しているから症状が出るのです。

    感情が表に出ないことで深刻に悩んでいるように見えず、家族や友人に話しても「誰も気にしてないよ」等と自分の苦しさを理解してもらえないことで余計に苦しみます。

    「認められたい、わかって欲しい」が強いから、わかってもらえないことに傷つき、怒りを感じやすい。「わかってもらえない=愛されていない」という感覚になることで耐えがたい気持ちになるのです。

    自己愛が強い

    自己愛と対人恐怖症には密接な関連性が見られます。

    対人恐怖が生じる背景として自己愛の強さが挙げられる。他者から自分がどのように見られているのか、といった自分のことに対する意識の高揚が自己愛に関係し、それが対人恐怖に結びつくという見解である。

    引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

    自己愛と聞くと「自己愛性パーソナリティ障害」をイメージする人もいますがイコールではありません。

    自己愛とは自分への興味関心であり、自分を愛する大切な感覚です。

    しかし、親に愛されないと肥大化した自己愛に固着、誇大な自己イメージにとらわれてしまいます。

    過敏型の自己愛が強い、あるいは脆弱な自己愛傾向がみられる青年は他者に承認・賞賛や特別な配慮を求める傾向があり、そして、期待した反応が返ってこないときには心理的に不安定になりやすく、対人恐怖傾向が高くなりやすいと考えられる。

    引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

    過度な承認や特別扱いを期待して、応えてもらえないことで悲しみや怒り、無価値感を抱え続けるのです。

    自分には価値があると思えないのに、価値があるように扱ってもらえないと傷付く。親に愛されなかったものを他人に求める状態になっています。

    人と話すのが怖い状態を克服するために

    自分を取り戻す

    周りに合わせて自分を作ってきたから素の自分が受け入れてもらえると思えない。

    本当の自分を知られたら嫌われるんじゃないか、離れていってしまうんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか…

    さらに、バレるのを恐れてビクビクしていることまで隠そうとするから余計に人が怖くなってしまう。

    「他人にどう思われるか、どう見られるか」ばかりに焦点を当ててきたことで自分が空洞化しているのです。

    日々の生活で蔑ろにしてきた自分の思いや考えに目を向け、カウンセリングで言葉にしていく中で自分を取り戻すことができていきます。

    自分に中身があると思えれば隠す必要もないし怖がることもなくなる。

    自分を取り戻すことが対人恐怖症の克服につながっていくわけです。

    自分の基準で自分を評価していく

    人は「自分が自分にする評価」と「他人が自分にしてくれる評価」の2つで成り立っています。

    両方の評価をあわせて100点になるような感じです。

    自分が自分にする評価が10点の人は残りの90点を他人からの評価で埋めようとする。

    だから、他人の目を気にして人と話すのが怖くなってしまうんですよね。

    他人からの評価で自分の価値が決まるような感覚なので、「他人の目なんて気にするな」といくら言われても効果がありません。

    改善するためにまずカウンセリングで自分の基準を知り、その基準をもとに自分で自分を評価できるようにしていきます。

    自分なりの頑張りを評価できるようになれば、たとえ他人より劣っていたとしても自分への評価を高めることができ、他人からの評価を必要としない状態になるのです。

    自分の中にある影を受け入れる

    良い人だと思っている相手でも信用しきれず、陰で自分の悪口を言っているんじゃないかと思ってしまう。

    心理学に投影という言葉があって、自分の中にある影を相手に映し出すことを意味するのですが、まさにこれなんですよね。

    「自分の中には攻撃的な性質はない」といくら思い込んでひた隠しにしていたとしても、相手がその影を映し出して怖いと思わせてくるわけです。

    攻撃的な性質や汚い部分のない人間なんていません。

    もしいるとすれば、それは人間ではないのです。

    崇め奉られている歴史上の人物や著名人、有名人、どれだけ人から尊敬され人徳のある人間であったとしても、攻撃的な性質や汚い部分、影を持っています。

    ひた隠しにして目を背けているその影、つまり自分の中にある攻撃的な性質や汚い部分をカウンセリングで少しずつ受け入れられるようになれば、人と話すのが怖い気持ちはどんどん薄れていくのです。

    客観視する力を養う

    物事に対する考え方、捉え方と距離をとって自分で自由にコントロールできる力を養うことです。

    認知が歪んだ状態で人とかかわっているから、できない自分を責めたり、相手にそう思われないようにしなければと必死になる。

    さらにぎこちない行動や仕草になってしまうことで、相手に話しづらい印象や壁を感じさせてしまい、人間関係が上手くいかずに苦しみます。

    だから、認知の歪みを修正して客観視する力を養うことが克服に有効なのです。

    カウンセリングを受けて自分自身と向き合う中で自分を苦しめる考えに気付く。

    無意識に潜んでいた思考が表面化することで変わり始めます。

    自分一人で認知行動療法のように書き出したり、他人の反応を検証したりする方法もありますが、気付くのが困難なだけでなく悪化する危険性があるという理由でお勧めしておりません。

    コミュニケーション方法の改善

    人が怖いと感じる原因の一つとして、コミュニケーションの取り方の問題があります。

    自分を出して上手くいくコミュニケーション方法がわからない。

    だから、周りに合わせて自分を隠すコミュニケーションしかできず、自分を受け入れてもらえた感覚が得られないままになっています。

    カウンセリングで生まれ持った性質や特徴に気付き、本来の自分をベースにしたコミュニケーションが取れる状態にしていく。

    人それぞれ自分に合ったコミュニケーションの取り方があり、どういう人とどれくらいの頻度でかかわりたいか等も全然違います。

    世間一般で理想とされるコミュニケーション上手ではなく、自分にとってのコミュニケーション上手を目指していくのです。

    相手の性格や状態、場面など様々な条件によってコミュニケーションの取り方は変化するため、カウンセリングでアドバイスを受けながら場数を踏んで経験を積むことが大切になります。

    対人恐怖症の克服とは?

    症状ではなく自分の気持ちを中心に動いていくことで生まれるエネルギーが、症状のもとになる不安や恐怖を抱えられるようになったときに対人恐怖症は克服できたと言えます。

    つまり、社交不安障害から回復することとは、人に対して緊張したり恥ずかしがったりするといった、社交不安傾向自体が消えることなどではない。もし社交不安傾向をまったく抱えていない人がいたとしたら、その人はおそらく、より深刻な病理を抱えているというほかないだろう。社交不安障害からの回復には、もちろん、社交不安傾向がある程度以下に抑えられるようになることも重要だが、より重要なのは、社交不安傾向自体は依然としてある程度は抱えていながらも、それとうまく折り合えるようになることにほかならない。

    引用元:社交不安障害の臨床社会学に向けて、2013、浜松学院大学研究論集

    自分の気持ちを大切にする行動をとれるようになれば自分に軸ができてきますので、多少は他人の目を意識する部分があったとしても症状が出ることはありません。

    不安や恐怖が生み出す症状は、自分を守ってくれているものであるため、なくそうとするのではなく受け入れることが必要なのです。

    カウンセリングでは症状に守ってもらわなくても大丈夫な状態になれるようサポートしております。

    人と話すのが怖い対人恐怖症でお悩みでしたらご相談ください。

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    【参考文献】

    内沼幸雄:対人恐怖、講談社現代新書、1990

    森田正馬:対人恐怖の治し方、白揚社、2011

    黒木俊英:こころの科学「2009年9月号」対人恐怖、日本評論社、2009

    鴻上尚史:「空気」と「世間」、講談社現代新書、2009

    西橋康介:対人恐怖症に本は効果がないと主張するカウンセラーがあえて書いた対人恐怖症の本、ギャラクシーブックス、2014