
私がカウンセラーとして活動を始めた当初から「脇見恐怖症」と呼ばれる症状のご相談は数多くありました。
脇見恐怖症は期間の経過と共に悪化しやすい厄介な症状ですが、カウンセリングで取り組みを続けることによって改善していきます。
脇見恐怖症とは?
脇見恐怖症は、自分の視界に入ってくる人を意識することがやめられず、相手に不快な思いをさせてしまうことに不安や恐怖、罪悪感を抱く症状が代表的です。
「視界に入った人に意識を向ける=見ている」という感覚になり、視界に入っている人がソワソワしている、咳払いをする、別の場所へ移動する、関係がギクシャクする等があれば、自分が見てしまったせいだと思って苦しみます。
執着心、他者への依存心が非常に強く、劣等感や無価値感を抱えている人が多いです。
脇見恐怖症は正式な診断名ではないため、精神障害の診断基準として用いられるDSM-5、ICD-10には記載がありません。
対人恐怖症に分類される視線恐怖症の一種と言われますが、実際に対応してきた中で「一概に視線恐怖症とは言えない」というのが私の見解です。
脇見恐怖症の症状事例
- 人とすれ違うのが怖くて日中に出歩くことができない
- 授業中に顔を上げることができず黒板を見ることができない
- 隣の席にいる人が気になって試験の問題を解くことができない
- 向かい側の席にいる人が視界に入るとパソコンでの仕事ができない
- 電車やバスで顔を上げることができず目を閉じてやり過ごす
- 顔を上げるたび必ず誰かと目が合う
- カフェやファミレス等の視界に人が入る席に座れない
- 異性に気があると勘違いされて困る
- 家族と一緒にテレビを見るのが苦痛
脇見恐怖症の実態
本人の中では実際に見ている感覚になっているケースがほとんどで、インターネットやSNS上では「見ている」と表現する人は多いですが、今までのご相談事例から相手が気付くほど見ている人は少ない印象です。
見るとしても確認程度にチラッと見るか、「脇見」という名前の通り横目で少し見るくらい。
自分の姿をスマホの動画で撮影したら見ていなかった、脇見恐怖症の人同士が集まるオフ会で確認し合ったら実際は見ていなかったという話はよく聞きます。
電波を飛ばしている等といった発言が出ることから統合失調症の可能性も考えられますが、どちらかといえば確証バイアスと呼ばれる思考の偏りによるものです。
自分の視線で相手を不快にさせないかどうかを気にしすぎるあまり、視界に入れただけで見ているような感覚になってしまうのではないかと思っています。
見てはいけないと思うのに見てしまう症状
人を見ることがやめられず、不快な思いをさせてしまうことに罪悪感を抱える症状は、対人恐怖症の自己視線恐怖症(人を睨んでしまう、見てはいけないところを見てしまう)に分類されます。
しかし、過去の文献で以下のような症状が自己視線恐怖症として扱われているため、脇見恐怖症と明確な線引きをするのは難しいです。
〔症例2〕TM 男性,発症:18歳,自己視線恐怖
高卒後,予備校に通っていたとき,教室などで無意識のうちに自分が人を見てしまうことがよくあった。すると,自分の視線に気づいた人が不愉快になるようでチラと見返してくるので,それが苦痛に感じられた。現在,授業中は教室の右端に座り,左手で左目をさえぎるようにしてノートをとっているので,あまり気にならない。他の人は視野の周辺に意識があまり向かないようだが,自分は隣の人が気になる。
実際に道行く人と何度も目が合ってしまう、学校や職場で見ていることを指摘された等の話も聞きますので、見てはいけないと思うのに見てしまう症状で悩んでいる人もいます。
脇見恐怖症の原因
視覚を中心とする感覚の過敏さ
HSPや発達障害で生まれつき過敏さを持っている、家庭環境で愛着の問題から傷つきやすさを抱えて過敏になっている、学校でいじめに遭ったことで他人の反応に過敏になっている…
何かしらの理由で過敏さを抱えていることは影響します。
自分の視線がどうなのか、他人の反応がどうなのか、自分がどう思われているのか等、過敏さがあるから些細なことが気になりやすく、気になったらそのことばかりにとらわれやすいのです。
脇見恐怖症という悩みを抱えることで生じるストレスがさらに過敏さを強化し、悪化していく傾向が見られます。
「見てはいけない」という意識
人間の視界は180~200°くらいと言われていますので、意識的に見ようとしていない人が視界に入るのは珍しいことではありません。
例えば、電車でうつむいてスマホをいじっていたとしても、隣の人の体や前に立っている人の足が視界に入ります。
その中で気になる対象があれば自然と視線が向くことはあるのですが、相手を不快にさせたと思うことによる罪悪感、自分が変に見られていないかという不安等を抱えることで見てはいけない感覚になる。
見てはいけないと思うから意識をしてしまい、視界に入った人が気になって仕方がない状態になるのです。
視線の使い方の問題
本来人の視線は焦点を当てる見方が5~10%、焦点を当てず周辺視野を使う見方が90%以上と言われます。
視界に入った人が見えるのは当然のことですが、この「見える」は周辺視野を使った見方。
しかし、脇見恐怖症の感覚では「見ている」になっていることから、焦点を当てる見方になっているわけです。
過去の親子関係や学校での人間関係等、何かしら人に対して焦点を当てる見方をせざるを得ない状況が続き、癖づいてしまったことが影響している可能性が考えられます。
抑圧された感情や欲求の影響
不安や恐怖、怒り等の感情が警戒心が高め、視界に入る人に意識を向けざるを得ない、見ずにいられない状態になっている。
自分の視線で他人をコントロールできる感覚は支配欲求によるもの。
脇見恐怖症という症状を抱える自分に特別感を見いだすのは承認欲求が影響しているため、歪んだ形で欲求を満たそうとしている面があります。
しかし、感情や欲求を抑圧していることで自覚できず、なぜか人が気になってしまう、見てしまうという感覚になっているのです。
自分が我慢して丸く収まるならいいと思っていませんか?感情の抑圧は自覚がないまま大きな問題を引き起こしています。
アイデンティティの未確立
自我(アイデンティティ)が確立されていないことによって、自分と他人の境界線を引くことができず一体化。
自分が気になることは他人も気になるとしか思えない感覚が脇見恐怖症を引き起こす要因になるのです。
自分自身と向き合って可能性を切り捨てないといけないタイミングで目を背けた結果、自我が確立できないままの状態になっている。
自我が曖昧な思春期に脇見恐怖症を発症しやすい傾向からも関連性があると言えます。
他人や環境等、自分以外のことに責任転嫁してきた傾向が強い人ほど、アイデンティティの問題が影響している可能性が高いです。
脇見恐怖症を維持、悪化させる要素
確認行為による不安の増大
脇見恐怖症で悩んでいる人は、自分の視線に相手が反応していないかどうか常に意識を向けて確認しています。
相手の反応で落ち込み、罪悪感を抱える反面、自分の視線が影響を与えていることを確認して安心感を得ている側面があります。
一時の安心を得るための確認を繰り返すことで不安が増強、さらに確認せずいられなくなって他人の反応に焦点を当てる。
繰り返していく中で不安が強まってしまい、症状が悪化していく流れがあると考えます。
見れないから余計に怖くなる
逆に、脇見恐怖症によって「人を見てはいけない」という意識を強めてしまい、周りを見ないようにしている人もいます。
なんとなく視界に入れても見ないとなると、相手がどんな顔していて、どんな動きをしていて、どんな感じの人なのかがわからない。
例えば、家で1人でいるときにガタッと物音がして「もしかしてドロボー?」と気になっても、実際にその場を確認して風でドアが閉まっただけだとわかれば安心しますよね。
逆に確認せず放置したら「ドロボーかもしれない」という疑念が残ったままになって安心できません。
視界に入った人が気になって仕方がないのに、相手を確認できないことも怖さを強める要因になるわけです。
症状をなくそうとする意識
脇見恐怖症を発症すると症状が出る場面を避けるようになり、行動が制限されてしまうため、「この症状さえなければ」という考えが出てきます。
症状さえなければ自分のやりたいことができる、悩みがなくなる。
思えば思うほど症状をなくそうとする意識が強化され、症状にとらわれていってしまうのです。
症状のことばかり考えて過ごす日々で自分にとって大切なことを見失い、人生が空洞化していくことで虚しさを抱え、虚しさを誤魔化すため症状に固執する。
症状をなくそうとする意識が脇見恐怖症を悪化させているところがあります。
対人恐怖症で悩んでいる人が持つ症状をなくすことへの囚われ。どうすれば抜け出すことができるのかを書いています。
自分の視線で相手が反応するのはなぜ?
ハッキリ相手の顔を見ていて「何睨んでるんや」と絡まれた、職場の人から「見ないでください」と言われた等の場合は、実際に見ていることが原因です。
しかし、視界に入れただけで相手が反応する場合は以下の可能性が考えられます。
確証バイアスの影響
視界に入った相手が何かしらの反応をすると言う人は多いですが、確証バイアスの影響が大半であると言えます。
確証バイアスは社会心理学の用語で『思い込みの強化』を意味しており、自分が思い込んだ内容を裏付ける情報ばかりに目を向け、逆に否定する情報はスルー、どんどん自分の思い込みを確信へと変えていくものです。
視界に入っている人が咳払いをした、電車で隣に座っていた人が別の席に移動した、隣の席の子が自分の視線を遮るように肘をついている等。
人が視界に入っていて何も起こっていないときもあるはずなのに、それはすべて見落として相手の反応が変わったと感じたときだけをピックアップしてしまう状態になっているのです。
「直接見なかったとしても電波を飛ばしているから不快な思いをさせるんだ」という主張は、人間の視線に対する幻想が肥大化したものではないかと思っています。
人を視界に入れてしまうことを気にするあまりキョドキョドして不自然な態度をとっていたり、不安や緊張で違った雰囲気を出しているために変な目で見られることが、もしかするとこの電波という表現に該当するのかもしれません。
一対一の因果関係
「自分が視界に入れた」ことが原因で「相手が反応した」という結果が起こったと考えていますが、物事の因果関係というのは一対一ではありません。
以前私がマクドナルドに行ったときの事例でご説明します。
カウンター席で食事をしていると、隣にいた大学生くらいの男性がテーブルに物を叩きつけて席を立ち、「あー!」と苛立った声を上げて帰って行ったことがありました。
隣の席が2つ空いていたのに自分の方に詰めて座られたのが嫌だったのか、勉強か何か上手くいかないことがあってイライラしていたのか、私が視界に入ったことで集中できなくなってイライラしたのか、体調が悪くてイライラしていたのか、店内が混んでいたことでイライラしていたのか。
いくつか挙げましたが、どれか一つだけが原因とは言えません。
結果は様々な原因が重なって生まれています。
自分が人を視界に入れたことと相手の反応を一対一で結び付けているから、自分のせいで相手に不快な思いをさせたとしか思えなくなっているのです。
脇見恐怖症を克服するということ
そもそも脇見恐怖症の概念が曖昧で明確な定義がない以上、克服プログラムのようなものを作成することはできません。
対人恐怖症、思春期妄想症、強迫性障害、統合失調症、パーソナリティ障害、愛着障害、発達障害、HSP等の可能性を踏まえ、個別に対応していくことが必要です。
実際にどういう取り組みをしていくかは人によって異なりますが、下記のような方向性でカウンセリングをおこなっております。
悩みと距離を置く
脇見恐怖症という悩みを抱えることによって、どうすれば克服できるのかばかり考えるようになる。
悩みと一体化してしまうことで客観視できなくなり、どんどん悩みに飲み込まれていく状態になっています。
一旦悩みから離れることができれば、少し距離を置いて悩みに対処することができるようになり、克服しやすい状態になります。
悩みを解消したいと思うのは当然ですが、思いながらも脇見恐怖症のことばかり考えないことが大切なのです。
制御感を養う
自分が自分を制御できない状態に陥っているから、他人に意識を向けたくないのに向けてしまう、見たくないのに見てしまうといった症状が出ています。
カウンセリングで自分の性質、感情や欲求等と向き合い、なぜ自分を制御できない状態になっているのかを知る。
その上で自分を制御する感覚を養う取り組みをおこなっていきます。
そもそも感情や欲求を制御する力が弱いのか、抑圧の習慣で衝動が強まってしまっているのか等、人によって原因は異なりますが、継続していく中で制御感を養うことは可能です。
症状のある自分との統合
症状がある自分はおかしい、変だと思うことで否定している。
どこか症状を抱えている自分は自分ではなく、症状をなくすことで本当の自分になれると思っているところがあります。
しかし、光があるところに必ず影ができるのと同じく、人間の心にも光と影があり、症状を含めた自分の影をなくそうとしているから苦しいのです。
症状のある自分、自分の影を認めることができるように働きかけていきます。
「見てしまう」を「見える」へ
他人に意識を向けてしまう、見てしまう(do)を、他人が視界に入る、見える(be)に変えていくことが必要です。
意識的に見るのではなく、ただ視界に入るだけの感覚になれば、罪悪感に苛まれることも不安や恐怖に怯えることもなくなります。
相手を見ることを必要とする心理状態が背景にあるのですが、カウンセリングで改善していくことが可能です。
本来の視線の向け方がわからなくなっている人が多いため、具体的なレクチャーも交えてアドバイスしております。
精神的に自立する
脇見をして相手が反応するから見ないようにする、人に変に思われそうだから言わない、症状が出るからなるべく外に出ない、症状の改善につながるかわからないからやらない…
常に自分ではなく他人や症状が「主」になり、自分が「従」の依存的な状態になっています。
相手がどう思おうが自分がやりたいからやる、周りにどう思われようが自分が嫌だからやらない、症状でしんどいけど自分がやりたいからやる、症状の改善につながるかわからないけど自分が成長できるからやる。
自分で考えて動ける自分を「主」にした自由な感覚、精神的自立に向かうほど脇見恐怖症は改善していきます。
症状の必要性をなくす
脇見恐怖症という症状が出ているのは今の自分にとって必要だから。
アドラー心理学や神経症の理論が有名ですが、症状は何かしらの目的を果たすために存在していると言われます。
必要な状態である限りなくしたくてもなくすことができないため、症状が必要でない状態を目指すのが脇見恐怖症の克服につながるのです。
カウンセリングで自分自身と向き合い、症状の必要性に気付いていく中で何をすればいいかがわかってきます。
視界に入った人を意識することがやめられない、どうしても見てしまうといったことでお悩みでしたらご相談ください。