私が小学5年生の頃の話です。

体育の授業でケンケンパの遊びをみんなでやることになりました。

ゲーム感覚で楽しめるようにとフラフープやマットで道を作ってあるところを跳んでいくというものでした。

みんなは楽しそうにどんどん跳んでいく中、私は一人順番が来ても後ろに回ってやりませんでした。

その様子に気付いた担任の先生は「西橋、なんで跳ばへんのや?お前がやってへんのは知ってるんやぞ!」と私に怒鳴ったのです。

自分ではバレてないつもりでしたが、小学5年生の考えることなんて大人から見ればバレバレですよね(笑)

なぜ私はそこまでしてやらなかったのか?

それはみんなと同じように上手くやれる自信がなかったから。

できないのを隠すためにやらないようにと誤魔化していたのです。

でも、先生に怒られてはやらないわけにいきません。

号泣しながらみんなが注目する中やりました。

恥ずかしいどころではないくらいの何とも言えない気持ちの中、それでもやってみたら自分なりに跳んでいくことができたのです。

みんなと比べたらペースは遅いし、上手く着地できなかったりもありましたがそれでもなんとかできました。

すごく無様でダサい姿。

でも、それが当時の自分にできる精一杯だったと言えます。

思い返せば小さい頃からあの手この手で恥をかく場面を避けてきました。

できるかわからないことは「できない!」と言って頑なにやろうとしない。

テストの点数が悪いのは恥ずかしいからと答えを写して点数を誤魔化す。

みんなと一緒に遊びたいのに入れてもらえないから一人で何かしているように見せかけて誤魔化す。

話が続かないとわかっているから休憩時間も仕事が忙しいふりをして誤魔化す。

とにかくダサい上手くやれない自分を見せたくなかった。

見せて恥をかくくらいなら避ける。

やらなければバレずに済むわけですからね。

でも、そうやって避けてばかりいるから一向にできるようにはならないし、年齢を重ねる毎に周りとの差が開いてきて余計に見せられなくなっていたのです。

「こんな年にもなってこんなこともできないなんて」と自己嫌悪でどんどん自分を嫌いになる。

嫌いな自分を見せたくないから自分を出さなくなっていく。

ダメな自分を知られたくないから人とのかかわりを避ける。

この悪循環の先に待ち受けていたのが対人恐怖症だったわけです。

恥をかく場面を避ける習慣があるから必ずしも対人恐怖症になるとは言えません。

ただ、恥をかかないように、失敗しないようにと避けることで人として成長できないというのは間違いなく言えます。

背景にあるのは恥の文化

日本独自の「恥の文化」によって「個人<集団(世間)」という考え方が深く根付いています。

小学校での6年間、中学校での3年間、義務教育の期間中ずっと自己主張よりも和を乱さない集団行動を上手くできるように教育されるわけですから、できるだけ恥をかかないようにしようという意識はより一層強くなるのです。

みんなと一緒という安心を得るために、友達が持っているものと同じおもちゃを親にねだったり、友達と同じような服装をしたり、流行にやたらと敏感になったり…

自分から見た自分ではなく、世間から見た自分を過剰に意識するようになってしまうがゆえ対人恐怖症になりやすいのは、日本人である以上誰にでも言えるのではないかと思っています。

誰しも恥をかくことが怖いですし、進んで恥をかこうという人は珍しいですよね?

でも、恥をかく可能性があることをしていかない限り、人は本当の意味で成長していくことはできません。

日本の恥の文化の影響で自己主張をしない空気を読む人間になるのも仕方がないとは思います。

ただ、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ということわざがあるように、一時の恥をかくことから逃げ続ける限り一生そのことに悩まされ続けることになります。

今のうちに少しずつでも恥をかくようにしていきましょう。