街を歩いていてすれ違う人、たまたま電車に乗り合わせた人、ご飯を食べに行った先で近くに座った人…

しゃべるわけでもなく、かかわりを持つこともない人たち。

自分には注目されるような特徴があるわけでもなく、大して関心を抱く対象になりえないはずなのに視線を感じる。

見られている感覚が怖くて前を向いて歩けなくなる人もいます。

クラスメイト、職場の同僚、子供と同じクラスの保護者といった実際にかかわる人たちなら見てくる可能性は十分あるでしょう。

しかし、全く関係のない赤の他人が自分に注目するというのは不思議な話ですよね。

いったいなぜ赤の他人からの視線を感じるのでしょうか?

他人からの評価に依存している

人は「自分が自分にする評価」と「他人からしてもらう評価」で成り立っています。

例えば、勉強を頑張ったときに「よく頑張ったな」と自分を褒めるのが自分が自分にする評価、親に「よく頑張ったな」と褒めてもらうのが他人からしてもらう評価です。

小さい頃から誰かに認められることでしか自分を評価できなかった人は自分で自分を評価することができません。

自分で自分を評価できないから必然的に他人からの評価を求めてしまいます。

だから、頭では「通りすがりの人なんてどうでもいい」と思えるのにどうしても気になってしまうんですよね。

赤の他人の目を気にする人ほど他人からの評価に依存している度合いが高いと言えます。

赤の他人は自分の心の鏡

赤の他人はどういう人か知りません。

知り合いなら「あの人ならこう考えるかも」とわかる部分もありますが、赤の他人はどういう考えをしているか等まったくわかりません。

なのに、自分のことを悪く見ていると思うのは、自分が自分のことを悪く思っているから。

ルックスにコンプレックスがあればルックスが変に思われたのではないかと思ったり、道を歩くときにどこを見ていいか分からず不自然になっていると思うから変に見られたんじゃないかと思ったりするわけです。

また、強い不満を抱えていると攻撃的な気持ちが生まれてくるので、その攻撃的な気持ちを他人に映し出して攻撃されると思ってしまうこともあります。

「他人がみんな敵に見えるから外がまるで戦場のようだ」とおっしゃる方もおられました。

知らない人だから相手の人柄を無視して自分のネガティブな考えを映し出しやすくなるのではないかと思っています。

アンテナを張ってしまうから余計に気になる

どうでもいい人のことは意識していませんので何かしていても気付かないことも多いものです。

電車に乗ったときに周りの人が何をしていたか、何を話していたかなんて、インパクトのある内容でない限り覚えていません。

「そんな人いたっけ?そんな話してたっけ?」のレベルです。

しかし、赤の他人の目を気にしている人はアンテナを張っているので拾っています。

被害的な自己関連づけが起こる場合は,実際には自分に向けられたのではないかもしれない出来事に対して,自分がその出来事の対象ないしは被害者であると過剰判断している.このとき,何でもない出来事に注意を向けることなしに,自分をその出来事の対象と判断することはあり得ない.つまり被害的な自己関連づけが起こるときには,必ず対象となる出来事に注目していることになる.

引用元:被害妄想的心性と他者意識および自己意識との関連について、1999、日本パーソナリティ心理学会

拾うから気になってしまうのもあるということです。

また発達障害の傾向があると情報が遮断できず自動的に流れ込んでくるケースもあります。

「自分が自分に対してどう思うか」次第

コスプレとかで明らかに周りから浮いてしまう格好をして道を歩いている人もいたりします。

間違いなく注目されますし何か言われることもあるでしょう。

でも、本人が「自分はこれでいいんだ」と思っているから人目のあるところにも出て行けるわけです。

つまり、大切なのは自分が自分に対してどう思うか

自分がいいと思えたなら赤の他人から変に思われたとしても気に病むことはありません。

自分が自分の基準をもっていいと思えるかどうかです。

「周りからは変に見られるかもしれないけど、自分はコスプレをするのが好きだからやりたい」というのは自分の基準でいいと思ってますよね。

世間や他人を基準にして自分にダメ出ししてばかりでは「自分はこれでいいんだ」と思えるわけがありません。

自分を少しずつでも肯定していけるように。

カウンセリングでは思っていることや考えていることを話していただくことによって自分を肯定するお手伝いをしております。

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