ドラマでも使われるほど一般化している対人恐怖症。

家から出られない引きこもり、話しかけられてもビクビクおどおどして全く喋れない状態をイメージする人は多いでしょう。

しかし、実態は学校や会社に行っていて、表面上は問題が起こらないコミュニケーションを取っている。

彼氏、彼女がいたり、結婚している人もいます。

本人が隠して普通に振る舞っているから、周りに対人恐怖症だと気付かれていない人も多いですね。

対人恐怖症とはいったいどんな症状なのか?

専門のカウンセラーとして臨床を重ねてきた中で知った対人恐怖症の実態をお伝えしていきます。

対人恐怖症とは?

対人恐怖とは、「対人場面において耐え難い不安・緊張を抱くために、対人場面を恐れ・避けようとする神経症の一型」と定義されている。そして、その悩みの内容は「対人関係における戸惑い、相手の期待をはずすことへの恐れ、社交能力の自信の無さ、人前での何らかの行為の失敗の恐れ等といった対人場面での行為の遂行や、社交やコミュニケーションそのものへの不安が中心となっているケースと、注視されている赤面等恥ずかしい自分の何かが注目されている・駄目な自分を見透かされている、他者に見つめられている、迷惑がられている、嫌われている等といった強迫的思考や思い込みに苦しんでいるケースとに大別される」と定義されている。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

対人不安、対人緊張、社会不安、人間恐怖と呼ばれることもあり、対人恐怖症の傾向があることは「対人恐怖心性」と表現されています。

人とかかわりたい気持ちを強く持っているからこそ、人に嫌われること、拒絶されることが怖くて仕方ない。

嫌われないようにと相手にあわせて自分を作っているから、本当の自分が受け入れてもらえると思えずバレたらどうしようという不安に苛まれる。

対人恐怖の者は,本当の自分とは相手が知れば不快をもよおすような人間であり,本当の自分を知られることが恐ろしいと考えているようである。

引用元:いわゆる対人恐怖症者における「悩み」の構造に関する研究、1974、横浜国立大学教育紀要

何をしても受け入れてもらえるという安心感がある関係の人(家族や親友等)といるときには症状が出ない、出ても軽度となる場合が多い。

逆に、職場など中途半端に継続する関係や飲み会など複数人の集まりの中で強く症状が出てしまう。初対面よりも2、3回接点がある中途半端な関係の人が苦手といった特徴があります。

また、進学や就職、一人暮らし、結婚、出産等による環境の変化によって症状が悪化することが多く、男女問わず10代(とくに高校時代)に発症しやすいのも特徴。

他人に迷惑をかけることを恐れる加害性は日本の文化圏特有と考えられてきましたが、実態を調査した結果アメリカでも一定数認められています。

概念が幅広く、人見知り、過度の気遣い、対人緊張~統合失調症やうつ病、依存症と関連するものや、発達障害やパーソナリティ障害と関連するものまである。

3~13%の高い生涯有病率で、うつ病やアルコール依存症、統合失調症との併存が多いことも示されました。

「対人恐怖症の人=人とまったく話すことができない人」というイメージを持たれがちですが、ほとんどの人が人と話すことはできる状態です。表面的にはうまく会話できる人もいます。

ただ、人と自然に緊張せず話したり、本当の自分を見せたりすることができず、人間関係をうまく構築できない状態なのです。

いずれ治るだろうと症状のつらさを我慢したり、ごまかして過ごしたりする方もおられますが、対人恐怖症は放置していても治りません

なぜなら、自然に治る機会となり得る人とのかかわりを回避してしまうからです。

対人恐怖症の状態では不安や恐怖から逃れることばかり考えて視野が非常に狭くなっているため、本やインターネットで調べても解決できないまま一人で悩み続けてしまう傾向が見られます。

対人恐怖症に用いられる概念、用語

引用元:社交不安障害の診断と治療、精神神経学雑誌 117(6), 413-430, 2015、日本精神神経学会

対人恐怖軽症例と対人恐怖定型例に二分されたものが、1997年に緊張型対人恐怖と確信型対人恐怖へと変わりました。

さらに4群に分ける概念も生まれ、妄想的確信を持っている患者に対しては思春期妄想症という名称がつけられています。

診断基準である米国精神医学会の「DSM-5」と対応させると、緊張型対人恐怖、第1群および第2群が社交不安障害とほぼ同じ。

確信型対人恐怖、第3群、思春期妄想症は醜形恐怖症/身体醜形障害、妄想性障害身体型に分類されると考えられています。

DSM-5でやや混乱をきたしやすい点は,BDDが身体表現性障害から強迫症および関連症群/強迫性障害および関連障害群に移り,醜貌恐怖(shubo-kyofu),自己臭恐怖(jikoshu-kyofu)が日本語名のまま他の特定される強迫症および関連症/他の特定される強迫性障害および関連障害として記載されたことである.BDDを強迫関連症として検討していくのがよいか,あるいはSADに関連したものとして検討していくのがよいか診断学的にも議論がなされているが,わが国では対人恐怖全体を一臨床疾患ととらえた上で亜型に分類するのが合理的であるとの考えが提案されている.

引用元:社交不安障害の診断と治療、精神神経学雑誌 117(6), 413-430, 2015、日本精神神経学会

醜形恐怖や自己臭恐怖といった特殊なものも対人恐怖症のサブタイプとして扱う方向になっています。

DSM-5が導入された現在、対人恐怖症は社交不安障害(社交不安症)と診断されるケースがほとんどです。

対人恐怖症の症状

不安や恐怖に飲まれてしまうことによる過度の緊張が症状を生み出しています。

さらに、症状が出ているのを知られることに恐怖を感じるため、隠そうとしてより緊張を増していく悪循環に陥るのです。

具体的には以下のような症状があります。

対面で人と話すとき、人前で話すとき、複数人のグループで話すときといった直接人と接する場面だけでなく、道路、電車の中、人ごみ等、人がいるだけのところでも症状が出て苦痛を感じるケースもあります。

自分のことにばかり意識が向いて(自意識過剰)他人のことが考えられない、相手に迷惑を掛けてはいけないのに掛けてしまう罪悪感等によって自分を責める、否定する。

「この症状さえなければ」と思って症状が出ないようにしようと頑張る方は多いですが、頑張れば頑張るほど余計に症状を意識することになりますのでやめましょう。

症状はあくまでも表面化しているものでしかありませんので、症状を生み出している原因を知ることが大切です。

対人恐怖症になる原因

対人恐怖症の原因には先天的要素と環境要因があると考えています。

先天的要素

不安を感じやすい、怖がり、恥ずかしがり、感受性が高い、影響を受けやすい、真に受けやすい、思い込みやすい、他人に興味が持てず一人遊びが好き等といった生まれつきの性質。

個人の特性を9つに分類するエニアグラムでタイプ4に当てはまる人は、感情に左右されやすくネガティブ思考であるため対人恐怖症になりやすい。(私もタイプ4です)

⇒エニアグラムのタイプが気になる方はこちらのサイトで診断できます

そもそも日本人の大半は「心を落ち着かせる働きをするセロトニン」を取り込むセロトニントランスポーターの数が少ないことから、脳の構造上どうしても不安を感じやすい傾向はあります。

HSP(ひといちばい敏感な人)や発達障害に該当するケースもあり、発達障害の二次障害として対人恐怖症を発症することも。

慎重で警戒心が強いことから「石橋を叩いても渡らないタイプ」と言われる人も結構います。

みんなが面白いと思うものを面白いと思えなかったり、興味関心の対象がマニアックだったり、周りと感性が大きく違っていることも影響しやすいですね。

その他、アトピー性皮膚炎、わきが、吃音、漏斗胸といった身体的特徴。

周りと異なる面が多ければ多いほどいじめやからかいの対象となりやすく「自分は変なんだ、おかしいんだ」と思うことで始まる自己否定が対人恐怖症につながっていきます。

環境要因

日本の文化

世間は人の生死を左右するほどの力を持っていた

昔の日本は村社会で「世間」が絶対的な力を持っていました。

村単位で農家の人たちが助け合うことで生活できていたわけですからね。

世間に従わないことはご法度であり、従わない人は村八分という極端な仲間はずれをされていました。

村八分にされると火事と葬式以外は誰も協力してくれない孤立状態になるから生きていけない。

つまり、生きていく上で世間に従うことは絶対だったわけです。

年配の方や田舎の人たちがよく口にする世間体はここからきています。

世間体を気にして生活することが自分の生死にかかわるほど重要という感覚なんですよね。

都心に住む若い人は「世間」に馴染みがないかもしれませんが、日本の文化に根付く世間への恐怖は遺伝子レベルで受け継がれています。

個人と社会が壊しきれずに残った世間

絶対的な力を持つ世間でしたが、明治維新で西洋の「個人と社会」という概念が取り入れられたところから壊れていきます。

対人恐怖症の根源には <人に好かれ,よく思われなければならぬ〉という「配慮的要請」と, <人に優越しなければならぬ〉という「自己主張的要請」との矛盾対立があると指摘している。そしてこの背景には,イエを原型とするような日本文化の配慮的性格の上に,明治以降の近代化による競争原理(自己主張的要請)が侵入してきた時代状況があったのだという。

引用元:対人的コミュニケーションとしての対人恐怖:共同体と怒り、2001、北海道大学大学院教育学研究科紀要

しかし、アメリカのようにキリスト教が根付いているわけでもなく、多神教である日本は個人と社会が定着しないまま世間にすがる形となりました。

年功序列や終身雇用制度の崩壊で世間はどんどん壊れているのですが、田舎や学校といった集団を中心に世間が根強く残っているからややこしいわけです。

時代の流れは「個人と社会」のはずなのに、実態としては「世間」がまだまだ残っている。

芸能人の謝罪会見とかではいまだに「世間の皆様に…」という言葉が使われていますよね。

壊れかけた世間はそのまま世間として現れることもあれば、今の時代でいうところの「空気」として現れることもあるのです。

空気という名の世間に怖さを感じている

村社会にあった世間は明確だったのに対して、壊れかけた世間である空気は曖昧。しかも、世間のように従いさえすれば面倒を見てもらえる保障もありません。

名前の通り移ろいやすく不安定な「空気」を読んで周りと上手くやっていかないといけない。

だから、波風立てないように周りに合わせて自分を出さず、孤立だけはしたくないからと大して仲良くもない友達?(友達未満)と一緒に過ごしたりする人が増えました。

同じような服装や髪型で常に誰かと一緒にいるような人たちも実は怖がっています。

「空気が読めない」「発達障害」という言葉に過剰反応、「あいつは空気が読めていない」なんていう批判も恐れている証拠。

曖昧な空気を読むのは難しく従っていれば安泰というわけでもない、どこか安心できないコミュニケーションの中に怖さが生じるわけです。

日本人が人とのかかわりに怖さを抱えているのは、太宰治の「人間失格」が累計発行部数670万部以上を突破したこと、「嫌われる勇気」がベストセラーになったことからも証明されています。

空気を含めた「世間」を肌で感じているからこそ、人間失格で描かれた「人間恐怖」の感覚が理解できてしまうんですよね。

親子関係

親子関係で植え付けられた見捨てられることへの恐怖

大人になれば自分で稼げるから親の助けなしで生きていくこともできます。

しかし、小さいうちは親に養ってもらわなければ生きていくことができません。

親子関係は世間と同じく生死を左右することになるわけです。

だから、虐待を受けている子供でも必死に親にすがりついて何とか生き延びようとする。

明らかにおかしいと感じていてもそれを捻じ曲げてでも親に従う。

虐待までいかなくても親がヒステリックで話を聞いてくれなかったり、親の理想を押し付けてきたり、自分にとって望まないことでも従って適応していくわけです。

親の言いつけを守って弟の面倒を見る良い子なら受け入れてもらえる。

逆に良い子じゃなければ受け入れてもらえない。見捨てられてしまうかもしれない。

見捨てられたら生きていけない…

自分が生きていけないかもしれないというのはものすごい恐怖ですよね。

親に見捨てられることが怖い、親に嫌われることが怖い。

根底に植え付けられた恐怖心が他人とのかかわりにおいても影響する。

他人に嫌われるのが怖い。

嫌われる可能性があることが怖い、人と話すのが怖いにつながるわけです。

人に対する怖さが成長と共に積み上げられていく

基礎となるコミュニケーションの取り方は親子間で形成されます。

生まれてすぐは不快なことがあれば泣いて主張、快いことがあればニコニコしたり。

素直に自分の感情を表現するのですが、親とのかかわりでどんどん変わっていきます。

親に嫌われないように、機嫌を損ねないように顔色をうかがってきた子供は、他の人と接するときも顔色をうかがう。

一方的に親の愚痴を聞き続けてきた子供は、他の人の愚痴でも我慢して聞き続ける。

過干渉の親に言われるがまま動いてきた子供は、他の人とのかかわりでも言われるがまま動く。

人間は自分を守るために現状維持をする性質がありますので、親子間で上手くいったコミュニケーションを繰り返すことになるわけです。

だから、親に合わせるコミュニケーションが形成されていると他人にも合わせるようになってしまう。

相手に合わせているから受け入れてもらえる反面、「合わせないと受け入れてもらえないんじゃないか、見捨てられてしまうんじゃないか」という恐怖はどんどん膨らんでいくことになります。

社会の変化

昔の日本社会では、家族や親族同士で同じ地域に集まって住み、その中で祖父母、叔父、叔母、甥、姪、従兄弟、従姉妹といった親族とかかわりながら暮らしていました。

行事ごとがあれば都度集まってかかわらざるをえない環境で、年上、年下と付き合いながら人との付き合い方を自然に学ぶことができたのです。

イメージでいうとサザエさんの時代ですね。

男尊女卑の考えからひきこもりが許されない男性は無理矢理でも社会に出さされ、逆にひきこもりの女性は重宝されたという話もあります。

今の日本社会は核家族化が進み、親族が同じ地域に集まって暮らすことがなくなりました。

当然、親族同士での交流も希薄になり、年上、年下との付き合いもほとんどなくなっています。

そんな状況で育った子供は、友達からのイジメ、先生からの叱責があればすぐに登校拒否をするようになりました。

そうなっても、親は子供の自殺や暴力を怖れて叱ることができず、ひきこもりが増えているという話もあったり。

親がすべてに近い環境で育った子供は、親を理想化してその価値観に従って「良い子」で居続けるしかなくなるため、反抗期もなくなってきています。

本当は、親以外の人の価値観を知り、反抗期を通して親の価値観から脱出する必要があるにもかかわらず、それができていないために社会に適応できず苦しむ人が多くなっているんですよね。

親族が周りにいなくなったことで「学校」が大きな影響を与えるようになっています。

学校で良い先生や先輩、同級生等に巡り会って新たな価値観を知り、人との付き合い方を学べるケースもあれば、その逆もあり得る。

何でもインターネットで調べられるようになって経験が減ってしまったことも失敗や恥への恐れにつながっていると思います。

さらにSNSの普及によってコミュニケーションの取り方が複雑化。

いつでも連絡を取れる、つながれる、お互いの状況を知れるという便利さは息苦しさにもつながっているでしょう。

サービス競争でどんどん便利になっていく社会で、当たり前の基準が上がって寛容になれない人が増えました。

物やサービスばかりが進化して人が成長できない。いまや退職の申し出すら業者にやってもらうような時代になっているのです。

昔の日本社会が良かったとは言えませんが、時代の変化とともに対人恐怖症が生まれやすい社会になっているのは間違いありません。

対人恐怖心性の特徴である「集団に溶け込めない悩み」、「目が気になる悩み」、「生きていることに疲れている悩み」に関する平均値については、1993年の調査時よりも2008年の調査時のほうがそれぞれ男女共に有意に高くなった。この結果から、大学生の対人恐怖心性は時代的推移と共に高まっている可能性が考えられる。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

発症に至るまで

自己否定の習慣により自己肯定感がどんどん失われていく。

自分の基準で生きれなくなり、他人や世間一般の基準にすがるようになる。

相手が悪くても責められず自分を責めてばかり。

自分を守ろうとする心理が働き、プライドが高くなり頑固になるから素直に人の話が聞けなくなる。

相手を責められないから怒りが湧かず、嫌だという感覚も麻痺。

存在意義を見失って「自分がいない方が上手くいく、自分じゃない人と話す方が相手のためになる」等と考え出す。

誰でも嫌がるようなこと、怒るようなことにも反応しなくなることで優しい人に見られる。

周りのイメージによってより自分のネガティブな側面が抑圧されて苦しくなっていく。

自分から壁を作って接しづらくしておきながら、相手が自分を嫌っていると被害妄想。人間不信を募らせる。

そして、限界を超えたときに対人恐怖症を発症するのです。

先天的要素と環境要因を抱えていても、限界を超えない限り発症には至りません。

発症の時期が中学という人もいれば、社会人になってからという人もいますし、事例からも限界を超えたときに発症していることがわかります。

脳の働きから見た対人恐怖症

対人恐怖症を克服していくにあたって脳の働きを考慮することは外せません。

なぜなら、対人恐怖症と不安や恐怖などの感情を司る扁桃体が密接にかかわっているからです。

扁桃体は動物脳と呼ばれる大脳辺縁系の一部であり、不安や恐怖を感じてその感覚を記憶するところです。

この扁桃体が不安や恐怖を感じることによって視床下部から自律神経の中枢機能がある脳幹に刺激を与えるため交感神経優位となる。

感情と、交感神経、副交感神経などの自律神経の働きは、脳の中で密接に関連しているからです。

引用元:不安・緊張 ~気持ちが落ち着かない・どきどきしてこころ細い~|こんな症状ありませんか?|みんなのメンタルヘルス総合サイト

山でクマに遭遇したときのように「戦うか逃げるか」の状態となり、震え、強張り、発汗、呼吸の乱れといった身体症状が出てきます。

命を守るために思考を停止させ即座に動けるようにするわけです。

これが実際にクマに遭遇した場面であれば適切なのですが、人と話すときや会議などでなってしまうと頭が働かないから困ります。

目つきが鋭くなる、顔がこわばる、手が震える、頭が真っ白になる…

対人恐怖症の症状は扁桃体の過剰反応によるものなんですよね。

扁桃体が過剰反応する原理

原理を説明するにあたって脳の「海馬」「側頭葉」「前頭前野」というところも知っていただく必要があります。

海馬は扁桃体と同じ動物脳にあり、隣り合って密接に情報のやり取りをします。扁桃体の影響を受けて記憶を出し入れするところと認識しておいてください。

側頭葉は海馬からの情報を受け取って長期記憶として保存する役割をしています。

前頭前野は理性脳とも呼ばれ、扁桃体の働きを制御する力を持っているところです。扁桃体と海馬のやり取り等でビリーフ(信念)を形成、物事を抽象化、一般化することができます。

海馬が側頭葉に長期記憶として残すのは生命の危機につながることです。

しっかり記憶に残すことで危険を回避して、生命維持、種の保存をしてきました。

例えば、「高いところから落ちて大けがをした」といった失敗経験、「仲良かった友達が急に無視してきた」といった予測に反することが該当します。

仲良かった友達に無視されても死ぬわけではありませんが、予測に反することが起これば現状を維持できなくなるため危険だと判断するのです。

さらに「集団からの排除が生命の危機につながる」という原始時代から受け継がれる遺伝子レベルのビリーフも危険だという判断に影響します。

では、いじめによって対人恐怖が発症するメカニズムを例に海馬と側頭葉、前頭前野がどのように関連して扁桃体の過剰反応を生み出すかを見てみましょう。

いじめによる発症のメカニズム

安全なはずの学校でいじめを受けたことによって扁桃体に恐怖の感覚が記憶され、同じ目に遭わないよう海馬がいじめにあった経験を側頭葉に長期記憶として保存。

学校に関する話を聞くだけで扁桃体が「危険だ!危険だ!」と海馬にいじめられたときの記憶を引き出すよう指示を出し、実際にいじめられていたときと同じかそれ以上のつらさを再体験する。

学校に関する話を聞いたり思いだしたりする中で扁桃体と海馬のやり取りが繰り返され実際よりつらい記憶として側頭葉に刻まれていく。

※この段階で学校に関連することには扁桃体が過剰反応します。

「他人はみんな敵だ。自分を攻撃してくるから警戒しないといけない」というビリーフが前頭前野に形成される。

※前頭前野は一般化できるため「クラスメイト」を「他人」にまで広げてしまうのです。

他人に会うだけで扁桃体が過剰反応しだす。(対人恐怖症)

扁桃体の過剰反応を抑えるために有効なことは?

直接抑えるためには薬によってセロトニン等の脳内物質のバランスを整えることになります。薬を飲みたくない場合は、セロトニンの原料となるトリプトファンが含まれた食事と日光を浴びながらの散歩で代用も可能です。

ただ、薬で過剰反応を抑えるだけでは単なる対症療法にとどまってしまうため、実生活で人とかかわりながら前頭前野に形成されたビリーフを上書きしていくことも必要となります。

「他人はみんな敵だ」「自分の存在は他人に迷惑を掛ける」といったビリーフの影響で扁桃体が過剰反応しているからです。

あと、扁桃体に直接的にも間接的にも影響を与える方法としては瞑想が挙げられます。

瞑想によって頭に浮かんでくる不安や恐怖をラベリングしていくと、悟りを開いたかのように超然的な物の見方ができるようになり、結果として不安や恐怖に巻き込まれない状態になりますので。

その他にも考えられることは多々ありますが、一番効果が高い方法として考えられるのは、カウンセリングを受けて「自分がどうしたいか」に従って行動をコントロールできる状態にすることです。

自分が自分の人生をコントロールできる、多少の苦難でも自分で乗り越えられると思える状態になれば、扁桃体が過剰に反応することはなくなり、不安や恐怖を感じづらくなります。

脳の働きから言えば扁桃体に前頭前野が介入して抑えてくれるという原理です。

さらに、自分の意志を尊重して生きていく中で自己実現への意識が高まるため、無意識に余計な不安や恐怖を意識する比率が下がって自然と考えなくなっていきます。

対人恐怖症で悩んでいる人の特徴

自己評価

青年期における自己評価や自尊感情の低さや公的自己意識の高さは、対人恐怖心性の高さと有意に関連していることが明らかにされている。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

自分は周りより劣っていると思うから無理をして周りに合わせようとする。頭が真っ白になる、顔のこわばり、赤面や震え、発汗は無理をし過ぎたオーバーヒートによるもの。

余裕がないから相手のことを考えられず、自分のことしか考えられない自分を責める。

自分が自分を否定しているから、他人も自分を否定するとしか思えない。自分を出せないから人との関係が築けないまま、表面的な付き合いで相手に合わせるだけ。

相手に負担をかけたり変に思われて「嫌われるんじゃないか」という恐怖心から悩みを打ち明けること、相談ができない。一人で解決しようと抱え込む。

自分の基準で自分を評価できないから、いくら頑張っても自信が持てない。だから、他人からの評価で埋めるしかなくなり、他人の目がどうしても気になってしまう。

相手に合わせてばかりで自分を見失うから意見が持てず「どっちでもいい」ばかりになる。

自己否定により自己肯定感が失われ、自我が確立されていないから自分に価値を感じられない。価値を見出すために大変な仕事を押し付けられても頑張ってこなそうとする傾向もある。

考え方

対人恐怖症の人は以下に挙げるような歪んだ考え方になってしまっています。

まず、自分がどんな歪んだ考え方をしてしまっているのかを知ることも対人恐怖症を克服していく上で大切です。

0か100か思考(白か黒か思考)

1~99が無く、少しでも欠けてしまうと0、できたとしても100でなければ0と同じと思う極端な考え方です。

世の中のことは白黒つかないグレーばかりなので適応が難しくなってしまいます。

過剰な一般化

過去に1、2回あったマイナスの出来事が常にどこででも起こると決め付ける考え方です。

物事には複数の因果関係があるのですが、一つしか見えなくなっていることで起こります。

マイナス面捜索思考

出来事に対してとにかくマイナス面を探して、それだけに執着して他の良い部分が見えなくなってしまう考え方です。

「何か少しだけでもよかったことはなかったですか?」と質問して出てくるかどうか。

プラスの側面に意識が向きやすいようカウンセリングで軌道修正していくことが必要となります。

プラス面否定思考

客観的に見れば良いことを否定してしまう考え方です。

良いことが起きてもたまたま良かっただけ、褒められてもお世辞に違いないと全面的に否定します。

素直に受け取らないから相手に嫌な思いをさせてしまうこともありがち。

勝手な読心術

相手の部分的な行動や発言だけで、相手はこう思っているに違いないと決め付けてしまう考え方です。

自分の主観が非常に強く影響しているため、他人が聞けば「そんなことないよ」と思うことばかり。

否定されても説明を聞ける人はまだ軽度ですが、確信を持っていて話を聞かないのは重度と言えます。

予言者

「こんなことを言ったら上司に怒られる」「飲み会に行ってもうまく話ができない」「自分を出して人付き合いをすると必ず嫌われる」といった自分に対する無意識の予言。

的中してほしくないのに100%的中します。

そして、的中することを無意識の自分が知っているので驚くことはなく、逆に「やっぱりな」と変な安心感を持つのです。

破滅型思考

些細なことで最悪の事態を想定してしまう考え方です。

たまたま相手が挨拶をしてくれなかっただけで嫌われたと思うとかが当てはまります。

感情的な予測

事実ではなく自分の感情をあたかも事実であるかのように捉えて、それを根拠にして物事を判断する考え方です。

すべき思考

「~すべき」「~でなければならない」という考え方です。

人にとって一番大切な「自分がどうしたいか」を見失っています。

強迫観念になっているとただただしんどいだけ、やっても満たされず疲弊していく。

自分を苦しめるだけでなく相手にも向いてしまうため考えを押し付けたくなる。

嫌われたくないから押し付けることができずにイライラしてしまう問題もあります。

自分への責任転嫁

自分と関係ないことまで自分の責任だと決め付けて自分を責める考え方です。

相手が100%悪いもらい事故ですら「自分がこんな場所に止まっていたからだ」と思う人もいます。

以上のような考え方の影響で、カウンセリングを受けて良い変化が起こってもなかなか認められないがために、克服までに時間がかかってしまうことがあります。

感情

感情や欲求を抑圧しているから不安や恐怖に飲まれやすい。

嫌なことも嫌と言えず怒りや不満が蓄積されているから他人に投影されて怖さを感じる。相手が怒っていないのに怒っていると思ってしまう。怒りが出せないから相手からの攻撃が怖くて仕方なくなる。打たれ弱い。

本当なら耐えきれないほどのしんどさ、つらさがあるはずなのに、自分の気持ちを麻痺させて成り立たせている状態。嫌でも嫌と言えないから我慢することの積み重ねで心が悲鳴を上げているのが症状として表面化する。

症状を隠していたり安心できる相手には症状が出ないこともあって表面上は悩んでいないように見られやすく、家族や友人に話しても「誰も気にしてないよ」等と自分の苦しさを理解してもらえないことで余計に苦しむ。

認められたい、わかって欲しいが強いから、わかってもらえないことに悲しみ、怒りを感じる。「わかってもらえない=愛されていない」という感覚にもなるから耐えきれない。

自己愛

自己愛と対人恐怖症には密接な関連性が見られます。

対人恐怖が生じる背景として自己愛の強さが挙げられる。他者から自分がどのように見られているのか、といった自分のことに対する意識の高揚が自己愛に関係し、それが対人恐怖に結びつくという見解である。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

自己愛が強い人ほど自分の内面から目をそらすために自分に問題があることを自覚せず、周りからどれだけストレートに言われても気付けないほど鈍感であることが一つの特徴です。

感情が未分化で共感性が乏しく執着も強いので、こちらの考えや意図を理解したり自分自身の変化にも気付きづらい傾向もありました。

過敏型の自己愛が強い、あるいは脆弱な自己愛傾向がみられる青年は他者に承認・賞賛や特別な配慮を求める傾向があり、そして、期待した反応が返ってこないときには心理的に不安定になりやすく、対人恐怖傾向が高くなりやすいと考えられる。

引用元:青年期における対人恐怖心性の特徴とその関連要因についての省察、2013、愛知大学教職課程研究年報

自己愛が強い対人恐怖症の人がカウンセリングを受けると、カウンセラーに対する期待が大きく、期待に応えてもらえなかったと感じたら一気に攻撃性が高まる傾向があります。

「自分は正しいのに他人がおかしいから上手くいかないんだ」という責任転嫁によって自分の責任を認めようとしない傾向があるため、カウンセラーに責任転嫁してこられることも多く、カウンセラーの力量やアドバイスに異様に執着して自分で考えようとしない。

自分で考えてやって上手く行かなければ責任転嫁できなくなるからです。

でも、責任転嫁を繰り返して自分で考えないままの状態では何も変わらないわけで、ここにいつの段階で気付けるかが改善のポイントかなと感じています。

対人恐怖症を克服するために効果的と言われる心理療法

対人恐怖症を克服するにあたって効果的だと言われている代表的な心理療法として以下の4つが挙げられます。

とくに認知行動療法、森田療法が有名です。

認知行動療法

認知の歪みが原因で精神疾患が起きているということを前提と考えて、その認知の歪みを修正していく療法。

うつ病と対人恐怖などの不安障害に対して確実な効果があることが科学的に証明されており、他の治療技法に比べて短時間で大きな効果があらわれると言われています。

研究グループは今回、抗うつ薬で改善しない社交不安症患者が、認知行動療法を受けることで顕著に症状が改善するだけでなく、その効果が治療終了 1 年後まで維持されることを明らかにしました。なお治療終了 1 年後の時点で、認知行動療法を受けた 21 名の患者のうち 85.7%(18 名)が顕著な改善反応を示し、57.1%(12 名)は社交不安症の診断がつかない程度(健常者と同程度)まで改善しました。

引用元:社交不安に薬の治療が効かないとき、2019、千葉大学

ただし、ある程度改善して自分を客観視できる状態になってからでないと効果が出づらい面はあります。

視線恐怖症で何年も悩んでいる人が認知行動療法を受けたケースで、「見られていない可能性もあるのでは?」という話をされて「いや、絶対に見られています」と答えて何の効果も感じなかったという事例は多いです。

はじめはうつ病に対する治療法として確立され、その後、パニック障害・強迫性障害・対人恐怖などの不安障害や、発達障害、摂食障害、統合失調症の症状(幻覚や妄想)、パーソナリティ障害にも適用されるようになりました。

アメリカの保険会社やイギリス政府は、認知療法の治療効果を正式に認めており、欧米の精神療法のガイドラインには認知行動療法が推奨されていますが、日本ではまだまだ導入が遅れています。(2010年4月からうつ病に対する治療を中心に保険適応化されてきています)

森田療法

人間が本来持っている自然治癒力を活かし、不安をあるがままに受け入れて捉われから脱出する療法。

神経症の治療法であり、対人恐怖症やパニック障害などに有効とされています。

社交不安障害患者たちは、人前で赤面や視線が気になるなどのさまざまな症状が出てしまうせいですべきことができないと考え、なんとか症状それ自体をなくしたいという思いにこり固まっている。しかし、症状が出ていないか気にすることで、かえって症状に過剰に意識が向いてしまう。そしてこうした過剰な意識のせいで、症状それ自体が悪化したり、あるいは症状それ自体は大したことはなくても、いわば針小棒大の感覚にはまって大問題に思えてしまうという悪循環にはまるのである。そこで森田療法では、症状それ自体をあってはならない病的異常として異物視してなんとかそれをなくそうとしたりはせずに、赤面するならするがまま、視線が気になるならなるがままといったふうに、症状それ自体はそのまま受忍しながら、本来すべきことに取り組ませるという、ある種の作業療法的な体験を積ませる。すると患者は、さまざまな症状が出たとしても、実際にはそれなりにすべきことはできることが分かっていく。そしてこうした経験を積み重ねていくことで、患者たちは、依然として症状それ自体はあったとしてもそれにとらわれなくなり、とらわれなくなることで症状それ自体が消えたも同然、あるいは症状それ自体はあっても問題にならない、という境地に達する。こうして患者は「回復」するのである。森田療法のキーワードとしてしばしばとりあげられる「あるがまま」と「目的本位」とは、以上のような事態を指す。

引用元:社交不安障害の臨床社会学に向けて、2013、浜松学院大学研究論集

不安をあるがままにしておいた状態で、本来の現実的な欲求や目的にそって行動して、少しずつ不安を受け入れて改善していくという流れですが、そもそも不安に対処しないまま我慢して行動できないので取り組むのが非常に難しいです。

森田療法によるカウンセラーとクライエントの会話が記載された本を読んでみて、行動をする前にしっかりとカウンセリングで対話することが準備となって行動できていたのかなという印象を受けました。

患者に自らが抱えている悩みや葛藤を日記として記録させ、その日記に医師がコメントをつけて返すという、いわゆる日記指導が重要な手続きになっているのである。また、こうした日記指導と並んで注目されるのは、森田療法では、早くから元患者や患者同士が自らの回復体験や悩みについて語り合う機会が積極的に導入され、さらにはそうした語らいのための集団、すなわち、現在でいう自助グループ的な集団も早い時期から形成され、活発に活動してきた点である。そして、日記や語らいの機会が重視されてきたのは、社交不安傾向と折り合いをつけるためには、素朴な経験的実感を積み重ねるだけでは不十分であり、そうした実感を資源としながら、自らのありようについての説明や了解を言語的に構築していく必要があると森田は考えていたからにほかならないだろう。

引用元:社交不安障害の臨床社会学に向けて、2013、浜松学院大学研究論集

日記指導や自助グループでの交流といった前提を抜きにあるがままだけを意識してやろうとするから、結局、あるがままにしようと思いつつもできないまま、できない自分を責めて悪化していくケースが増えているのではないかと思っています。

昔は入院させて何もできない状態にすることで人間の持つ本質的な欲求を呼び覚まして改善する入院治療が中心でしたが、近年は通院治療に変わってきており、日記をつけて指導する方法が一般的です。

催眠療法(ヒプノセラピー)

症状の原因が潜在意識にあるとして、催眠状態にして潜在意識を書き換えていく療法。

ヒーリング系の音楽を流しながら催眠状態に誘導していくところもあれば、音楽を流さずにおこなうところもあります。

他の療法と比較すると料金が高いのも特徴の一つです。

催眠で過去のトラウマを消してもらえたら治ると期待して受けに行った人の話をよく聞きます。

人によって催眠状態にならない人もいるため効果を感じないケースもしばしば。

お笑い芸人のツッコミ担当が催眠にかかりづらいと言われる通り、いろんな角度から物事を考え続けるような習慣がある人には向かないでしょう。

一定以上の度合いの対人恐怖症は症状へのこだわりが強くなっているため、催眠療法ではなかなか効果が出ずにやめてしまうこともよくあるようです。

症状のことばかり考える状態になっているから催眠に入りづらいのだと思います。

ちなみに、私自身も催眠療法を一度受けたことがありますが、効果はあまり感じませんでした。

来談者中心療法

来談者(クライエント)が自力で解決する力を持っていると信じて話を聴き続ける療法。

否定も肯定もせずただひたすらに話を聴くことで、クライエント自ら解決策に気付き動き出すのを待ちます。

傍から見れば単に話を聴いているだけのように見えますが、相手の話を否定も肯定もせずに聴き続けること、クライエント自らが解決する力を持っていると信じることは意外と難しく、来談者中心療法とうたっているところでも実はできていないことが多いです。

とくに大阪を中心とする関西圏では、おせっかいな性質を持つカウンセラーが多いため、本来クライエントを信じて待つべきところなのに、必要以上にアドバイスをして改善を妨げるケースが多いように感じます。

カウンセラーが自分の感情や価値観に左右されるとクライエントの話を否定したり、誘導したりしてしまうことも出てくるため、しっかりと教育分析を受けたカウンセラーでないと実践が難しいと言われています。

対人恐怖症を克服するために有効なこと

対人恐怖症を克服するために有効なこととして以下の3つがあり、カウンセリングを受けながら複合的に進めていくことによって効果を発揮します。

客観視する力を養う

物事に対する考え方、捉え方と距離をとって自分で自由にコントロールできる力を養うことです。

対人恐怖症は以下のような偏った考え方に固執することによって引き起こされるものです。

  • 本当の自分を見せると嫌われてしまうに違いない
  • 人前で話すときは堂々と話さなければならない
  • 顔が赤くなると変に見られるに違いない
  • 私の方を見て話している人は私の悪口を言っているに違いない

このような考え方に固執して人と接していくと、その通りにできない自分を責めたり、なんとかそう思われないようにしなければと必死になって苦しむことになります。また、そのせいでぎこちない行動や仕草になってしまうので、相手に話しづらい印象や壁を感じさせてしまい、人間関係がうまくいかずに余計に悩み苦しんでしまいます。

ですから、固執してしまわないように客観視する力を養っていくことが克服に有効なのです。

この客観視する力は、まず自分を苦しめる考え方を見つけ出して、それが偏っているのか現実的なのかということを行動して得られる相手の様子や反応といった事実によって、客観的に検証していくことを繰り返して養っていきます。

客観視する力は次の「自己評価の見直し」とも深くかかわっています。

自己評価の見直し

自分に対する評価を客観的に見直すことです。

対人恐怖症の方は、

  • 私は生きている価値がない
  • 長所が一つもない
  • 変で気持ち悪い人間だ
  • 暗くて人を不快な思いにさせる人間だ

というように全般的に自分に対する評価が非常に低いのが特徴です。(過去にいじめを受けた経験がある人や育てられた家庭環境に問題があった人は、特に低くなっている場合が多いです。)

こういった思い込みがある影響で、変に気を遣い過ぎたり、自分に否がないことまで自分の責任にしたりしてどんどん対人恐怖症を悪化させて苦しんでいきます。

でも、その評価は客観的に見れば間違っているものばかりです。そんな人はなかなかいません。

ですから、自分の長所と短所はどこなのか等を考えながら自分に対する評価が偏っていることを無意識の自分に認識させていくことでその間違いを修正していきます。

自分の評価を見直すことで自分を信じる力(自信)がついて、人からどう思われているか、どう見られているかといった評価に左右されづらくなるので、対人恐怖症を克服するために有効なのです。

コミュニケーション方法の改善

人とかかわる際のコミュニケーションの取り方を勉強して改善することです。

対人恐怖症は対人関係に不安や恐怖を感じるものです。その不安や恐怖を感じる原因の一つとしてコミュニケーションの取り方が下手であるということが言えます。

元々コミュニケーションの取り方が下手な人はいないのですが、育てられた家庭環境やいじめ等の原因で、人間が本来できるはずの自然なコミュニケーションの取り方を忘れてしまって下手になってしまうのです。

ですから、その忘れてしまった自然なコミュニケーションの取り方を、人と話すときにどういうことを意識して話すのか、自分の意見を言いたいときはどうやって言うのが良いか等を勉強して行動していきながら思い出していきます。

人の性格や状態、場面など様々な条件の中でコミュニケーションの取り方は変化しますので、場数を踏んでいろんなパターンを経験することが大切になります。

対人恐怖症が克服に向かっているかどうかの判断基準

対人恐怖症は「他人から自分がどう思われているか」「他人から自分がどう見られているか」という他人基準の考えに支配されています。

たまに対人恐怖症の人は思いやりがあるなんて書いているブログがあったりしますが、他人を思いやる余裕があるなら対人恐怖症から抜け出せているはずなのでありえません。

他人基準ではありますが、それは身勝手な主観での話であって相手の立場で客観的に考えられてはいないのです。

しっかり相手を理解した上で「この人ならこう思うだろう」と考えるのではなく、ほとんど理解していない状態で勝手に「この人ならこう思うだろう」と思い込んでますから。

別に対人恐怖症の人が悪いとかダメとかいうことではなくて、自分のことで精いっぱいで他人のことを考える余裕がない状態になっているだけなんですけどね。

この他人基準の考えから抜け出すためには「自分がどう感じたか」「自分がどう思ったか」「自分がどうしたいか」に焦点を当てていくことが必要となります。

他人基準と対になる自分基準ですね。

自分基準が強まってくると他人基準が弱まってきて、他人や世間一般の基準で自分を見なくなっていきます。

自分基準で自分を見られるようになれば心に余裕ができる。

余裕ができることによって相手のことも考えられるようになるから思いやりが生まれてきます。

つまり、自分基準がどれだけ強まっているかを見れば、対人恐怖症が克服に向かっているかどうかを判断できるわけです。

【対人恐怖症で悩んでいる状態】

相手に嫌われないためにどうすればいいか、他人に迷惑をかけないためにどうすればいいかばかり考えて、言いたいことも言えずやりたいこともほとんどできない。

【対人恐怖症改善途中】

相手から自分がどう見られているか気になりつつも、自分が言いたいことを言ったりやりたいことができる。

【対人恐怖症克服後】

自分が言いたいことを言ったりやりたいことができて、相手からどう見られているかにはほとんど意識が向かない。

※克服しても他人基準が完全に0になるわけではありません

この基準がすべてとは言えませんが一つの目安として考えていただくといいかなと思います。

【参考文献】

内沼幸雄:対人恐怖、講談社現代新書、1990

森田正馬:対人恐怖の治し方、白揚社、2011

黒木俊英:こころの科学「2009年9月号」対人恐怖、日本評論社、2009

鴻上尚史:「空気」と「世間」、講談社現代新書、2009

西橋康介:対人恐怖症に本は効果がないと主張するカウンセラーがあえて書いた対人恐怖症の本、ギャラクシーブックス、2014